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『恋するシャンソン』("ON CONNAIT LA CHANSON")[映画]
「さあ、行きますよ!(On y va!)」という観光ガイドの Camille(Anges Jaoui) の明るい声で始まるこの映画、邦題から連想される恋愛映画というよりも、軽やかなコメディといった方がいい。アメリカ映画のすみずみまでバッチリきめてたたみかけるようなそれではなくて、例えば Jaques Tati のコメディのような、あくまで軽やかで、ちょっとまのびしてて、そして押しつけがましくない笑いだ。

原題の "ON CONNAIT LA CHANSON" は「誰かはその歌を知っている」という意味なのだが、本編には古今のフランスの流行歌が 36 曲つまっていて、登場人物たちが随所で歌い出す。ただし、これはミュージカルではない。曲はみなサビばかり歌われるし、それよりすごいのが、なんと全部口パクなのだ。台詞の合間に突然歌(の流行当時のレコード)がながれ、役者がそれにあわせて口パクするのである。これが滅法可笑しい。
例えば冒頭、第二次対戦下のパリでドイツ将校のコルティツがヒトラーからパリを破壊せよ、と命令の電話を受ける。と、唐突に「二つの愛("J'AI DEUX AMOURS")」(1930)を口パクで歌うのだ。「私が愛するもの二つ/祖国とパリの街/その地にいると/いつも心がときめくの」ジョセフィン・ベーカーの愛らしい声といい歌詞といい、武骨な将校とのひどいミスマッチで、爆笑もの。コルティツは結局命令に背いてパリを破壊しなかったのだが、レジスタンス運動に協力していたというジョセフィン・ベーカーの歌を歌わせるあたり、なかなか含蓄の深いものがある。

レコードの音も音質の悪い古い録音から最近のものまでだから、博物館をみるような楽しみもある。それにしてもうまい具合に歌を見つけてくるものだ。Nicolas があちこちの病院をハシゴして「体の弱い僕("Je ne pas bien portant")」(1934)を「脾臓肥大/肝臓湾曲/腹部不快/下腹肥大/胸部貧弱/へそ穴螺旋」と強迫的に歌ったり、パーティでいたたまれなくなった Simon が「俺の顔がどうした/何がおかいしいんだ/そんなに変なのか/驚くほど?」(「俺のツラ("Ma Gueule")」1979)とがなりたてたりするシーンでは、腹を抱えて笑ってしまった。Nicolas と Simon のダメ中年二人が、肩を寄せあって「よき友を持つことが/この世で一番すばらしい」(「友よ、よい友達よ("Avoir un bon copain")」1931)なんて歌ったりするところも「とほほ」な感じでいい。もう、数えあげたらきりがない。

クサい台詞を「映画みたい」なんて言うことがあるけれど、流行歌のそれもサビだけ取り出した時のクサさはそれどころではない。この映画がもっているユーモアというのは、そういう「本当の気持ちを言えない」もどかしさや、「つい熱くなってしまった」ときの気恥ずかしさに根ざしているのかも知れない。悲しい気分の時に悲しい歌なんて、とてもじゃないけど人前では歌えないでしょう?

ところで、映画の明るい雰囲気とは裏腹に、Simon と Nicolas と Camille の三人は鬱病気質 (depression) だ。Nicolas はあちこちの病院に行くし、Camille はガイドの仕事中にパニック障害のような発作を起こしてしまったりする。病気だけじゃない。2年も無職の Nicolas の弟(そのうえ 3日でリストラされる)、そしてパリに来ても仕事も部屋も見つからない Nicolas 自身の、不景気 (depression) もある。そう、二つの depression がこの映画の底に流れているのだ。ラスト近くの Camille の台詞「鬱病は、どのくらい続く?」に答える Simon の「軽くなる時もある。たとえば幸せな時。ずっと気が楽だ」は、病気のことだけを言っているのではないのではないだろうか。辛い時には歌を歌おう、なんてメッセージを読んでしまうのは、やっぱりちょっと単純過ぎるかな?

パーティーが終って雑然とした部屋で、Camille の父親が CD を手にとって「覚えのある題名だな。この歌を知ってる人は?(ON CONNAIT LA CHANSON?)」とカメラに向かって言うラストシーンも、とてもすっきりしていていい。そしてエンド・クレジットも、曲をチェックするために観客は誰も立ち上がらなかった。

それにしてもこれ、どこかで誰かが二番煎じをしてヒドイ映画を作ってしまうような予感がしてならないのだけれど...。


Murata Ryoji - <ryoji@cc.rim.or.jp>
$Date: 1998/08/22$