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『眼と精神 ─ フランス現代美術展』 @ 群馬県立近代美術館

「日本におけるフランス年 1998-99」に合わせて行なわれる巡回展。 フランス現代美術の「活気」を伝えるものだという。 現代美術棟のみの展示である。群馬県立近代美術館は始めて行ったのだけれど、 公園の中にあって空気も良く、気持ちのいい美術館だった。

「眼と精神」は Maurice Merleau-Ponty の同名の書籍からとられたもの。 現象学にはあまり詳しくないのでやや不安だったが、 それほどタイトルを気にしなくてもよかった。というか、ほとんど ポストモダニズム的な文脈で理解できそうだ。

Pascal Convert の広島の被曝桜の型取りや、Thierry Kuntzel の日本庭園をモチーフに したビデオ・インスタレーションは、外国人作家が日本で「現地制作」した 作品にありがちなものだった。たぶん短時間で異文化を理解しようとすると どうしても「最小共通項」から入らざるを得ず、同時にそれ以上進めないのだろう。 外人が見た日本、の域にとどまる感じだった。こういうのは良い悪いではなくて、 観客としては、単に退屈である。

今回の展覧会でもっとも変わった作品は、おそらく Martin Tupper の「郊外の小さなヴィラ」だろう。何人かのアーティストの作品を集めて 展示している。ある夫妻のコレクションから出品したものだ。 作品が他の作品との関わりの中で評価され、制作されていくというシステム (つまりは美術史)、あるいはコレクターの趣味や基準といった、美術を取り巻く 諸制度への言及と再現だ。それはまた一種のシミュレーションのようにも見える。 また、一まとまりの展示空間にいくつもの作品が雑居している様子は、 意外と心地よいものだった。

ABSALON の「独房」シリーズは最小限度の生活空間を作るユニットで、モデルルームの ようなインスタレーションだ。今回は「No.6」の実物が展示されており、 中の空間も体験できた。僕のようにシンプルな生活を好む向きには おあつらえむきかもしれない。真っ白な部屋は、模型そのもののようでもある。 内部はとても狭くて「逆ボディ・コンシャス」とでも言えそうな感覚がある。 さまざまな都市での生活を想定して制作されているので(「No.6」は東京)、 他の都市のものも見てみたい。

さて、僕が一番気に入ったのは Carole Benzaken の絵画だ。 ポスターに使われていた鍋の絵「良い健康を保つでしょう(Vous garderez la forme)」 の "forme" は健康と同時にフォルムでもある。こういう言葉遊びも 含めて、基本的にはとてもポップな感じだ。でも不思議なのは、ぬいぐるみなどの かわいらしいモチーフを描きながら、絵のほうはあまりかわいらしくない。 いや、かわいらしいのだけれど(実にかわいい絵なのだ)、 ぬいぐるみの持っているそれとはまったく違う印象のものだった。 それぞれのモチーフのディティールは ピンぼけ写真のように、細部まで描きこまれてはいない。 重なりあったぬいぐるみが図になり地になり、抽象形態が見えたりして、 見ていて飽きない。唐突に画面に現れる幾何形態も、絵とのやりとりのテンポのよさに 拍車をかけてくれる。

余談。Martin Tupper の作品の中の J. Dupro の「虚栄」はレゴブロックを タブロー状に組んで頭蓋骨の模様になっている。小学生の一団がやってきて、 一人の子が「こんなの市販のものを組み合わせただけじゃん」と言いはなった。 帰途、一緒に行った人と「あの子になんと説明したら良いか」を考えたのだけれど、 これがなかなか難しい。ううむ。


Murata Ryoji - <ryoji@cc.rim.or.jp>
$Date: 1998/09/06$