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畠山直哉 "BLAST & camera obscura drawings" @ ギャラリーNWハウス [美術展]

去年 東京都現代美術館で 行なわれた企画展示『時間/視線/記憶』では 「川の連作」が印象的だった畠山直哉。その連作では 渋谷川を川の中から、中央で水平に切れて見えるように撮影したものだった。 木村伊兵衛賞を授賞した "Lime Works" が 知られているし、「川の連作」もそのようなある種タイポロジカルな仕事として 僕は見ていた。

けれどもそれは少し違っていたようだ。 確かに以前はタイポロジーとして了解できるものだったのだけれど、 「川の連作」では極めて形式的なフレームがあった。その違いがどこから来るのか 僕にはよくわからなかった。

今回のメインである "BLAST" は 採石場の岩が爆破される瞬間を撮ったものだ。粉々に砕けて飛び散る大小無数の 岩が画面を埋めつくす、迫力ある写真だ。 オールオーヴァーなものもあれば、噴水のように突き上がる粉塵を ダイナミックな構図で捉えたものもある。 抽象表現主義の絵画のようにも見えるそれは、けれども写真であることによって 対象である岩の「硬さ」を保持している。肌理こまかい小さな破片までも克明に 写し取っているその写真は、見事な空間をもって迫る。 そして同時に、ちょうど鉱石の結晶写真のような、繊細な美しさもある。 爆発力の、または力のみなぎる瞬間の結晶化とでもいうか。

写真は瞬間を切りとるものとよく言われるけれど、この作品はむしろ 瞬間を「凍りつかせた」といったほうが近いかも知れない。 ただし、ここでいう「瞬間」は時間軸上に打たれた点ではない。 現実的にもそうなのだけれど、それは非常に短いながらも一定の間隔をもった 時間だ。シャッターが開いてから閉じるまでには、わずかな時間の差がある。 そのことを、この作品のもつ力や動きといったものは感じさせるのだ。

たとえば交通事故にあったとき、妙にスローモーションのように辺りがくっきりと 見えることがある。そういう感覚だ。「とまれ。お前はいかにも美しい」

こう考えてみると、「川の連作」はまた違った容貌を見せてくる。 移動する視点から見える風景が、たまたま「そのように見えてしまう」瞬間を あの連作は捉えていたのかもしれない、と。

NWハウスの5, 6階にはカメラ・オブスクラから見た光景のドローイングがある。 また、爆発の現場を捉えた連続写真のフリップ・ブックもある。 これらも畠山がカメラを通して見ている光景を追体験するようで面白い。 ギャラリーの裏の階段は登っているうちに何階だかわからなくなるけれど、 一番上まで登ったら、そこにあるドアを迷わず開ければ良い。

この連作の写真集がもし出版されたら、僕なら買うと思う。出して欲しい。


Murata Ryoji - <ryoji@cc.rim.or.jp>
$Date: 1998/09/19$