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『バベルの図書館 ─ 文字/書物/メディア』 @ ICC [美術展]

ICC の企画は今一つ面白くないのが 続いていたのだけれど、久々のヒットという感じだ。 ただイラストと変わらない CG を指してコンピュータ・アートと 呼ぶような風潮の中、こういう展覧会は有意義だと思う。

山口勝弘は僕が大学に入った年に筑波大学を退官になった。 無理に履修計画を調整して取った授業には、僕はかなりショックを受けたものだ。 が、「モレルの発明」は見るのは初めてだったが、これが一番ピンこなかった。 ううむ。

鈴木了二の「物質試行39」は L字型の回廊で、奥に行くと非常に狭くなっている。 人間がぎりぎり入れる大きさの、ちいさな建築のような作品だ。 できれば入ってみたい。「ドラえもん」に出てくる大きさを変えるトンネルを 思い出した。

幸村真佐男にも筑波大で情報処理の授業を受けた。 彼の仕事はプログラムに文字の組み合わせを延々と出力させる作品群だ。 「音声版四字熟語集」の CG は頂けないが、「二言絶句」や「五言絶句」、 あるいは「非語辞典」などは、コンピュータが記号処理の機械であることや、 言語の記号性といった問題をきわめて明解に示している。 言語が恣意的な記号の体系なら、潜在的にはこれだけの可能性があるのだ、 と感嘆してしまった。また、黙々と計算を続けるコンピュータたちには その営みに何か恐ろしいものを感じる。その算出作業は作家によって 「5文字」や「4文字」あるいは「ひらがな」といった限定がされているにも 関わらず、一向に終る様子がない。単純なアルゴリズムに基づく 営為には、どこか蟻の大群を思わせるところがあった。
コンピュータをアーティスティックに使う、ということの見本のような仕事だった。 コンピュータは確かに道具に過ぎないが、ただの道具ではないのだ。

徐冰の読めない疑似漢字の本は、漢字文化圏以外の人には見わけがつかないだろう。 日本人でさえ、ちょっとした違和感を感じるくらいかも知れない。 中国の漢字は日本のそれとは違うからだ。が、あきらかに作りが変である。 漢字の造形に関わる文法のようなものだけは保たれているのだけれど、 読める文字が全くない。かゆいところに手が届かない諧謔。
"Introduction to New English Caligraphy" はアルファベットを漢字の造形に転換したもの。一つの単語を むりやり一つの漢字にしてしまう。アルファベットが漢字の偏や作りになるわけだ。 筆で書かれたもの、観客が使える練習帳、さらにワープロまであった。 練習帳は漢字文化圏では共通のものらしい。 手で書かれた作品とワープロが生成する文字には微妙なズレがあって興味深い。 漢字の造形文法には美的なバイアスがかかっているのか、 一筋縄ではアルゴリズム化できないらしい。
楷書しかなかったのだが、これを行書や草書で書いたものが見てみたい。 そうするともっとメタフォント的な問題が見えてきそうな気がする。

ともあれ、コンピュータと芸術をめぐる 最近の展覧会の中ではかなり面白いものだった。 作品が多くないのでやや物足りない気もするが、それだけ上質の作品があったわけだ。

$Date: 1998/09/26$


Murata Ryoji - <ryoji@cc.rim.or.jp>