キリン コンテンポラリー・アワード'98授賞作品展 @ キリンアートスペース原宿 [美術展]

今年は最優秀作品賞も優秀賞もなく、奨励賞として15人が選出された。 この賞、授賞作品を一通りみてまず思うのは、基準がよくわからないということだ。 千葉照子の日本画や森佐知子の彫刻は、なぜこれが選ばれるの? と思ってしまう。 作品の質は高いのかも知れない(よくわからないが)けど、例えば橘宣行の 「宇宙戦艦タチバナ」と同じ賞をとる作品には見えない。 「なんでもアリ」というのとはちょっと違う気がするのだが。

保守的な作品と、新しいように見えてレトロな味で見せている作品がほとんど、 といった中で、僕には松山賢の「おっぱい大好き」が突出して見えた。
乳房を強調した彫刻、ポルノグラフィーから起こしたペインティング、あるいは 松山自身がビデオの中でつけている「つけチチ」などからなるインスタレーション。 パッチワークのトルソやポルノグラフィーはレトロと言えばそうかもしれない。 けど、タイトルそのままのストレートさが楽しい。

が、結局これはポルノグラフィーに過ぎないのではないか? まず、ポルノグラフィーで あることは間違いないだろう。 でも「に過ぎない」と切り捨てることは僕にはできない。 ポルノにはお馴染みの悪意が微塵もないからだ。あまりにも無邪気、あまりにも健康。 脳天気といってもいい。 会場に流れる「おっぱい大好き〜」という歌には端的にそれが現れている。

しかつめらしく腕組みなぞしてヌードを見るような視線は通用しない。 ストレートに楽しみながら、そんな視線に対する椰揄も感じられるのだ。 そして、僕はあのばかげた「ヘアヌード論争」を思い出す。そこではまるで 芸術であることと猥褻であることは絶対に相容れないもののように語られていた。 そういう芸術と猥褻を分離する思考は、ここでは完全に放棄されている。
荒木経惟が猥褻物陳列罪の容疑で取調を受け、刑事に「これ猥褻ですよね」と 聞かれて「うん、猥褻だね」と答えていたのは、ごく正当なことだ。

また、例えばの話として、女性作家(しかも若くて美人の)が「ちんちん大好き」と やったらどうだろう。まず間違いなくワイドショーネタとして一気に消費され つくしてしまうに違いない。もちろんおっぱいは性器ではないから、猥褻度が 違うのだが、それはまた男女の非対象性に基づいてもいるのではないだろうか。
Freud はペニス羨望を発見しながら、なぜおっぱい羨望に言及しなかったのか?
って、あーもう、やめやめ。

もういいよわかったよ。僕もおっぱい大好きだよ。くそ。なんかくやしい。
しかし、これを見る男性諸氏は、作品を見ることを忘れて「おっぱい評論家」 と化してしまうのではなかろうか。理想的な身体のイメージは強化されつづけ、 昨今の多種多様なブラの目的もたったひとつだ。この作品の前で女性も 「おっぱい評論家」と化してしまうのなら、そのことの意味は一考の価値が あるように思えるのだが。

さて他の作品だが、Poety Party/N.キデヒトの「Nトピア」は 良い味を出していたお笑いビデオ。マスクマンとテクノの組み合わせはモンドか。 ただ脱力ぐあいがやや中途半端なのがおしい。ツボまであと1cm。

元ネタが明らかにわかるような作品がいくつかあったことと、 レトロなイメージが多いことが、新しいもの・未来への想像力が困難なのかな、 と思わせる。その辺が若手作家の展覧会としては引っかかる部分だ。
それと作品のキャプションにつけられた説明文の多くが似たりよったりの調子で 書かれているのがちょっと気持ち悪かった。 コンセプトだってプレゼンなのだから、もっと気をつかったほうが良いと思う。


Review 1998 [Index]
Murata Ryoji - <ryoji@cc.rim.or.jp>
$Date: 1998/11/02$