僕が抱く数学者のイメージは「痩せていて」「額が広く」「きょとんとしてる」という 偏見以外の何ものでもないのだけど、本書の挿絵にでてくるタジマ先生はこのイメージ にぴったりだった。本書は哲学講義を受ける二人の学生と教授の対話で綴られる無限論 なのだが、哲学というより数学といったほうが僕にはしっくりくる。
このタジマ先生というキャラクターが実に愉快で、「無限」についてわかりやすく 解説してくれる。が、なかなか手厳しい。
「そこなんですよ。いったい、何が認められているのか。『線分が無限の点を含む』 ということで何を意味しているのか。なんだと思います?」どうも僕もかなり愚劣らしい。
先生の目がこちらを向いたので、ぼくは答えた。
「線分が無限個の点の集まりでできているということではないんですか?」
先生はうれしそうに身を乗り出した。瞬時に察知した嫌な予感は的中した。
「それは、すばらしく愚劣な答です」
(p.29)
僕は数学が苦手で、ややこしい式など見るとメマイがするタチだ。けれども、タジマ 先生の講義は余裕で許容範囲。カントールの無限集合論からゲーデルの不完全性定理 まで講義はすすむのだけど、ただのたとえ話だけではなく、キーになる対角線論法と いうテクニックだけは丁寧に説明してくれるので、漠然としていたイメージがずいぶん 明確になった。対角線論法というのは要するに、横軸に対象をならべ、それを要素と する部分集合を縦軸にならべて、桃金飴がベッタリニョキニョキ生えてるところを 斜めにバッサリ切ってひっくり返すのだ。…って、いや読めばわかりますから。
やはり、抽象的な思考をいじくりまわしているうちに、あれよあれよととんでもない 所に行きついてしまう、というのが醍醐味だろう。スリリングなこの面白さは カタルシスと言ってもいいかもしれない。実際、タジマ先生もかなり楽しそうだ。
今日はラッセルのパラドクスです。これでカントール流の無限集合論は、 ふっふっふ、ポシャります。タジマ先生は可能無限という少数派の立場で講義をしている。だから、結構変なことを いろいろ言う(実数の集合などは存在しない、とか)のだが、実はウィトゲンシュタイン が下敷になっているそうだ。まあ、僕にとっては実無限だろうが可能無限だろうが どちらでも構わないし、面白いからそれでいいのだけれど。
(p.144)
よくわからないから憧れる、という分野がいくつかある。僕にとっては数学はその 最も大きいもののひとつだ。でもこのタジマ先生のような講義ならメマイがしなく なるどころか、もっと知りたくなる。本当に、笑いと驚きの連続なのだ。 是非読んでみて欲しい。