『写真 ─ 可能性のかたち』展

ドイツのディージー銀行の写真コレクションから、フランクフルト近代美術館の Mario Kramer が構成。同コレクション展はパリ、ベルリンなどで巡回する予定で、 それに先立つ企画。原美術館にあわせて作品を選択したとのことで、歴史的な流れを たどるようなものではない。
確かに原美術館はもともと1930年代に建てられた私邸を改造したもので、一種独特の 和やかさというか落ち着いた親密な空気のようなものがある。それはまた周囲の 住宅地の雰囲気によるものもあるのだろう。今回の展覧会はそんな原美術館に ふさわしく、デリケートで気品のある展示に仕上がっていると思う。冬の冷たい雨が 降るなか出かけていったせいもあるかも知れないけれど。

目立っていたのはタイポロジー的な仕事だろう。それは August Sander の有名な 労働者たちのシリーズ、杉本博の海のシリーズ、あるいは Inge Ranbow の異世界の ような荒涼たる風景や宮本隆司の神戸の震災後の写真 (全く感傷的でないのはさすが) などもそうだ。この手のドイツの写真家といえば Bernd Und Hilla Becher が有名だが、彼らの作品はなくて、むしろそれ以後の世代に焦点があてられて いるようだ。Thomas Ruff の巨大なシルクスクリーンのポートレイトも、その網点の 浮遊するような感覚でモデル個人よりはむしろ集合的なイメージを思わせる ものだった。

Ilya Kabakov や Christian Boltanski といった写真以外で著名な美術作家の 作品もあったのだが、写真のみではやや弱いように感じた。非-写真家的な仕事では むしろ『ピンク・フラミンゴ』の監督 John Waters の対の作品が面白い。 ただ、解説を読まないとわからないものではあるけれど。

不満が残るとすれば、個々の作家の作品の点数が少ないということだろうか。 もちろん限られたスペースでは仕方がないことではあるが、やはり写真はある程度 シリーズとして見ていかないとなかなか面白さが見えてこない。Thomas Struth の 美術館の中でたたずむ人達の写真も、一点しかないのが残念。あとになって 「美術手帖」の 1997年3月号(No.738)の特集「ドイツ写真 ─ ベッヒャー以後」で 幾つか他の作品を見たのだけれど、少なくとも2〜3点は並べて欲しいところだ。

とはいうものの、質の高い展覧会ではあったと思う。個々の作品よりキュレーションの うまさが印象的だった。


Review 1998 [Index]
Murata Ryoji - <ryoji@cc.rim.or.jp>
$Date: 1998/12/07$