明和電機『ショールーム』

正月で山口の実家に帰るついでに、福岡天神のイムズで開催中の展覧会を見てきた。 福岡に行くのは初めてなのだが、時間がなくてあまりゆっくりしていられなかったのが 残念ではあるけれど。

会場は壁で完全に二つの部屋に分割されていて、一方にオリジナルの「魚器」、 他方に販売のための「量産魚器」を展示している。 どちらの部屋も同じ配置になっていてオリジナル-レプリカの対比が明瞭だ。 各部屋の入口付近には解説があるのだが、「魚器」側で「明和電機だけが」とある所を 「量産魚器」側では「ご購入者本人様が」といった具合にテープを貼って白々しく 修正してあって可笑しい。また「量産魚器」のほうには購入のための手続きガイドが あって、注文から納品までの流れがわかりやすく説明してある。

量産されるのは「メイワ君」のキーホルダー、 「肺魚」、「サバオ」とそのストラップ、「グラフィッシュ」「魚コード」 「ビットマン」「グラスカープ」「魚立琴」「パチモク」および「コイビート」。 このうち「サバオ」は '95年にギャラリーNWハウスで組み立て実演販売され、 「魚コード」は '96年にPL法をクリアして一般に発売され、 去年の秋には「ビットマン」が受注生産されている。 だから量産・販売するのはこれが初めてではないのだが、いよいよ本格化したと いうことだろうか。量産化に選ばれたラインナップには、賛同しかねる部分も あるのだけれど。
作品そのものについて言えば、明らかに「魚器」よりも「量産魚器」の方が クオリティが高い。レプリカというよりはむしろリメイクと言えるかもしれない。 それに、すでに使用され続けてキズなどが入ったオリジナルは、商品に対する モックアップという雰囲気でもある。テレビなどで見ていた人達には「意外とボロい」 という印象を与えるかも知れない。

「魚器」の作り方はある面ではシミュレーショニスティックで、現代美術の手法の 「おいしいとこ取り」といった感もある。そして今回の量産はその生産・販売において 近代的な方法 (品質の安定、大量生産、コストダウン、価格の明示などといった) をシミュレートしていると言えるかも知れない。美術作品にこういった販売方法が 適用されるのは、デパートなどでの三文絵画の展示即売会くらいではないだろうか。 美術関係者と話していて「美術はなぜポピュラーでないのか」ということがよく話題に なるのだが、買うことができないというのも原因の一つだと思う。 そしてそれは高価だからというだけでなく、市場が決して開かれている とは言えないからでもあるだろう。 人々はファーストフードに入るようにはギャラリーには入れないのだ。 このことは流通システムだけではなく、評価システムにも影響しているはずだ。

会場にあった感想ノートにも何人かの客が書いていたが、彼らのやり方は一部の人々の 反感をかわずにはいられない。テレビに出れば「目立ちたがり」と言われ、 量販すれば「金儲け主義」と侮蔑される。だが山奥に籠って霞を喰って生きて いるような芸術家像を所望するような人々の、不条理な願望に合わせる必要はない。 例えば '96年にギャラリーQ でスタジオ食堂が行なった有料展なども (僕は見ていないけれど)、画廊制度に替わる別の選択肢の模索であろう。 こうした問題は決して周縁的などではないし、美術館やギャラリーを中心とした 流通・評価システムが近代美術を規定してきた側面を考えれば、 極めて重要なテーマだと思う。

というわけで的外れな椰揄など気にせずにジャンジャンやって欲しい。 僕としては彼らにかなり (過大とも言えるほど) 期待しているのだ。
まあ、それはそれとして早く次のシリーズも見たいのだけれど。


Review 1999 [Index]
Murata Ryoji - <ryoji@cc.rim.or.jp>
$Date: 1999/01/03$