川俣 正 "Tokyo Project - New Housing Plan"

工事現場の壁や自動販売機の隙間、あるいはビルボードの裏側に作られた住居に、 実際に「モニター」がそこで生活するというプロジェクト。 設置期間中は見学などは公にはさせず、その期間が終ってから、 今回ギャラリー内に再現した住居とドキュメントを展示している。 住居内には各「モニター」による手記や、多少の生活感を匂わせる雑貨などがある。

これまでの川俣の作品と比べて、造形的な側面が非常に希薄で、そのことが プロジェクトの骨子を明確にしていると思う。つまり、都市において最低限の 所有物と居住空間で暮らすというプロジェクトの。
だがこれは「ゲリラ」ではない。もしゲリラと呼ぶのだとしたら、敵は一体何なのか。 このプロジェクトに敵などいるはずがないのだ。それは僕達の生活、僕達の住居と 基本的には変わるところがないのだから。

この住宅には風呂もトイレもないが、それは銭湯に行けばすむ。僕だって冷蔵庫を 持っていないけれど、コンビニエンス・ストアがあれば事足りるのだ。 近代化された都市で暮らす上では、それらは基本的にコストの配分の問題に過ぎない。 むしろ僕は、それでもこれだけ物を持ち込まなければ暮らせないのだろうか、 という思いの方が強かった。実際のモニター期間中は、展示されているよりももっと 多くの物に囲まれていたに違いない。

簡素であるという点以外には、この住居が経済的な機能を果たす都市のパーツ ─ 自販機やビルボード ─ と一体になっているところが特徴的といえる。このように、 機能をもって経済的な生産をする住居が可能なら、あるいはより都市的な生活が 出来るようになるかもしれない。廉価な住居と、財とサーヴィスのアウトソーシング という、新たなコスト配分の方法だ。(現在の都市生活では、住居が高価なために 徹底したアウトソーシングにかけるだけの費用は普通捻出できない。) その意味では、 この "New Housing Plan" は近代的な都市生活の可能性をも 感じさせるものだった。


Review 1999[Index]
Murata Ryoji - <ryoji@cc.rim.or.jp>
$Date: 1999/01/31$