"New Life - 11 artists from Denmark and Sweden in Tokyo"

デンマークとスウェーデンの現代美術作家を紹介する展覧会で、都内の8ヶ所の会場 で開催されている。オープニングに併せてトークショウが行なわれた。

トークショー [individuality & madness]
-北欧アートの現況、および興味深い日本との類似性について-

展覧会のタイトルに "New Life" とつけた意図を聞きたかったのだが、 わずかに世代的な意識について触れただけで、充分な説明が聞けなかった。 John Peter Nilsson と建畠の間で 荒木 経惟 の話になってしまった上、 「荒木の写真が日本でPC的に問題にならないのは、タブーに対する挑発が 根強く求められているからだ」みたいな納得のされかたをしてしまったようで、 かなり不満。少なくとも、全く批判がなかったような対応はしないで頂きたいものだ。 現在 荒木 の写真がそれほどスキャンダルにならないのは、単にスキャンダル としての見方が消費され尽くしたからだ、と僕は思うのだが。 そしてメインの話題となるべきであったらしい「中心-周縁」という問題設定 にしても、「情報ツールによって従来の中心はもはやそうではなくなった」 というだけでは、なにかを言ったことにはなるまい。
いっそ、John Peter Nilsson と西原との 2人でやったほうが 良かったんじゃないだろうか。

以下、展示を会場毎に。急いで回ったので、あまり丁寧には見られなかったのだが。 文中の DK, SE, JP は、それぞれ作家の出身国である デンマーク、スウェーデン、日本。

スウェーデン大使館 展示ホール

会社勤めの身としては、平日昼間しか開いていない会場は辛い。 オープニングに行かなければ観る機会がないので、その日だけがチャンスだったの だけれど、非常な混雑で落ち着いて作品をみるどころではなかった。

Henrik Hakansson は、2/7に六本木 Deluxe でコオロギ1000匹を使ったコンサート "The Monster Of Rock Tour" を行った作家。ビデオと録音を流して流していたが、騒がしくてよくわからなかった。 真島 竜男 もビデオ作品を展示していたが、これもじっくり観る余裕はなかった。 Steven Bachelder はスパイダーマンの衣装と、子どもがそれを着ているビデオを 展示していたが、いまひとつ掴みかねる感じ。

あとは 曽根 裕 がオープニングで、"Birthday Party" パフォーマンス (1997年の ミュンスター彫刻プロジェクトが発祥) を行っていた。 ケーキ はとりあえず食べたのだけれど、既にパーティーの最中だったので、 「パフォーマンスを観た」という印象はない。

小山登美夫ギャラリー

"Night And Day" (1996) は、Copenhagen の解放区的な地区 Christiania を捉えた写真とビデオを使った作品。Truffaut が披露した、 ブルーフィルターを使って「昼に夜を撮る」手法を用いている。 部屋の窓も青いビニールで塞がれて薄暗い。 ビデオは木立の中の小道を映していて、あまり動きがない。 時おり自転車がコマ送りで通り過ぎるくらいか。ちょっとオカルト映画のような 雰囲気だ。そしてその画面に、スライドで Copenhagen と Christiania の歴史を 記述する言葉が重ねられるのだが、僕は英語が苦手な上に、画面も見づらくて あまりまともに読めなかった。

現代美術製作所

"New Life" の中でもっとも多くの作家が展示を行っている。 Peter Land によるビデオ作品は、椅子や脚立から転んで落ちたりする場面を 反復するものや、無意味に裸で踊り続ける映像など。それなりに可笑しくは あるけれど、やや物足りない。というか会場の散漫な雰囲気もあって、 ゆっくり見ようという気になれなかった。

Peter Geschwind の作品はゴミを使った人形。ポンプで洗剤をバケツに流している おもちゃのような作品は、"Wash and Go" というタイトルが バカバカしくて、ウケてしまった。

曽根 裕 の "Jungle Sculpture" (1999) は、 ジャングルのジオラマとビデオの作品。ビデオは夕方17時から1回だけ上映され、 あとは絵がかかっている。時間を選ぶ余裕がなかったので、ビデオは観ていない。
ジオラマと言えば 小粥 丈晴 + 雄川 愛 の写真も、ジオラマを撮影したもの。 ひと昔前の CD ジャケットにでも使われていそうな写真だが、それ以上のものが あまり感じられなかった。
手前の部屋は以上。全般にキッチュな雰囲気だ。

奥の別室で上映されている Magnus Wallin, "Exit" (1997) は CG のアニメーション。迫り来る炎の壁から逃げまどう、身体障害者を描いた短編。 這い回ったり杖をついたりして逃げるが、段差にひっかかって転んだりして 次々に炎に呑みこまれていく。人物と通路の幅とのサイズのバランスから、 数年前にヒットした Play Station のゲーム "I.Q." を連想させる。 その連想からか、障害者たちが見せ物になっている状況を想像してしまう。 数人がヘリコプターにたどり着く、というラストも「面クリ」みたいで、 こんなゲームがあったら自分はプレイするだろうか、と自問してしまった。

ナガミネプロジェクツ

薄暗い雑居ビルの中にあるナガミネプロジェクツ。入り口にはポスターが貼っ てあるものの、看板はなく、かなり入りづらい雰囲気だ。「こわいギャラリー」 の典型だと思う。
作品は壁面を一杯に使ったビデオで、一面にクローバーが映し出されている。 "4-Clover Field" (1998) というタイトルで、4つ葉のクローバー を探すという作品だそうだ。僕には見つけられなかったけれど、時間がある ときにでも、ぼんやり眺めてみると良さそうなビデオだ。

ヒルサイドギャラリー

"Biogass" (1997) は家畜の糞などを利用した家庭用ガスの システム。あまりにもエコロジー入っていてちょっと引いてしまうが、 オレンジ色の大きなバルーンはまさにモダンなデザインで、印象的。 テクノロジーへの信頼と、優れたデザインが合理的な生活を促進するという 理念がストレートに打ち出されていているのは、いささか無邪気ではある。

P-House

こちらも美術というよりはむしろデザイン的な仕事を展開しているユニット。 衛生的に循環するサニタリや、水耕栽培システムは、シンプルで機能的な 単位としてデザインされている。これらを実際に用いているところを見せなが ら販売もするという活動は、ユニークだ。といっても、この会場で デモンストレーションが見られるわけではないのだが。
循環的で自己充足的な家具は、モダン・デザインをこれでもかとばかりに 進めた結果のようにも見える。コンセプトよりも造形的な面に、僕は惹かれた。

ミヅマ アート ギャラリー

1998年には、美術品に関税がさほどかからないことを利用して食料品を輸入して、 市民にギャラリー内で大安売りしたというユニークなプロジェクトも 行ったアーティスト。今回の展示では、床に大量のバナナが積まれていて、 バナナの本数を当てた人に特製の T-Shirt をプレゼントするというもの。 ガラス張りのギャラリーの外からも、黄色地に黒で大きく書かれた文句が 目をひく。バナナはすでに黄色くなっており、強い匂いが充満していた。 かなりインパクトがある。
他には作家の目についたものを額装してコメントをそえた作品があったが、 こちらはバナナのインパクトの陰になっているような気がする。

NADiff

公開製作、というか NADiff での製作の過程を見せている内容。 彼女が東京で出会ったアーティストたちを題材にした本を作るということだが、 NADiff に行っても、彼女がただそこに居るというだけ。本の内容に なりたいとか、参加したいというのであれば行って話してみるといいかも 知れない。が、そうでないなら、わざわざ行って見るような ものがあるわけではない。
「本屋で本を作る」というのは頓知だが、それを見てどう、というものでも ないだろう。

以上一通り見た感想としては、全く玉石混淆だと思う。北欧の美術がどういった 状況なのか見えてくる、という感じも特にないし、全部見る必要はない ように思う。それにしても各会場の距離がかなりあって、疲れた。


Review 1999[Index]
Murata Ryoji - <ryoji@cc.rim.or.jp>
$Date: 1999/02/16$