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November 20, 2005

9年前の「来たるべきミュージアムに向けて」

InterCommunication No.15 (1996 Winter) に、「来たるべきミュージアムに向けて」という記事が載っていて、なんとなく雑誌を整理してるときに読んでしまいました。高階秀爾、浅田彰、伊藤俊治、彦坂裕の4人のトークです。とりわけ高階秀爾の発言が、なんかすげー正しいなーと(←偉そう)。

美術館で作品のデータを集める際の問題について、

美術館に限って話をすると、美術作品というのは非常に数多くあり、その作品一点一点についていろいろな情報があるわけです。作品の大きさ、材料という物理的な情報もあるし、いつどこででき、どう作品が移動したかという歴史的な情報もある。それはほとんど戸籍に匹敵すると思っているんです。(中略)そうすると、、例えばピカソ一人に対して、人口6、7万の都市の戸籍係と同じくらいの情報が要るわけです。(pp60-61)

またルーヴルなどでは、作品の情報の非常にこまごましたデータを、最初は手書きで、それからタイプライター、コピーとそれぞれの時代の方法で、とにかく蓄積してきてて、それを電子化している、と。

そういう蓄積がずっとあり、それを電子化しようという問題になってきた。日本は機械の方が先行していて ――それはそれでもちろんけっこうなんですが ―― 集める方、蓄積の方を忘れては具合が悪いですね。(p63)

というわけで、そういう作業をする体制なり人手 (registrar) が必要だという話はこの時点でもちゃんと出てるんですね。ということは、この頃と比べて全然状況は改善してないってことか…。そんな風に体系的に情報を蓄積してるところというのはなかなか…。どちらかというと「展覧会に出す」とか「あるコレクションを調査する」という、特定のモノについて集中的に調べあげるというきっかけがあって、その時にあちこちから情報をかきあつめてるというケースがほとんどではないでしょうか。継続的に日頃から蓄積している情報もあるとは思いますが、体系的に、そういう体制までととのえて、というところまでいってないんじゃないですかねー。

あとあと、専門的な情報を蓄積して、専門家向けに公開するというのが役所的な発想とかみあわせが悪いというようなことも言ってますね。役所というのは、集めたものは誰にでもアクセスできるようにするというのが基本だと。でもそうすると、非常に専門的な資料を集めて専門家だけにはちゃんと見せる、だけど中学生には見せない、というようなことがやりにくい、と。ま、実際彼が館長をやってた西洋美術館のライブラリーというのは、登録利用者が事前に予約して使うというスタイルになっているわけですが。

しかしここら辺は僕もちょっと思うところがあって、やはり専門家がちゃんと使えるデータをまともに蓄積するのがどう考えても最初だろうと思うんです。子ども向けとか教育プログラム用とかというのは、そこからの応用でしょうと。なんだけど、なんかデジタルなんとかとか言いだすと(偏見)、子どもやお年寄りでもわかりやすいコンテンツを作りましょうとかいって、最初の段階で編集しちゃう。編集を前提にデータを作るから、使いまわしができない。こういうふうに、とにかく出すものは必ず編集した後のもの、プレゼンテーションがつくられてるものでなければ、という風習(?)は、なかなか根が深いもののように思います。

おっしゃるように、ルーヴルがデリダなどに頼んでやっていることは、とにかくモノがありますから適当にやってくださいということ、これはエディトリアルの問題だと思うんです。エディットすること、つまりエディターに依頼することで、新しい見方が出てくるのではという試みですね。僕は美術館のひとつの役割はそれでいいと思うんです。そのためには、材料が全部揃ってなきゃいけない。(p65)

展覧会はエディットされたものなわけです。つまりあるオーダーを与えるということが行なわれていて、それが美術館の役割としてもちろん重要なんだけど、そうしないで、つまり生データを出すということにあまり価値が置かれないんですね。だから目録も作られない。このあたり、まあ博物館より博覧会が先にだったしねーとか、そういう歴史的経緯が尾を引いてるのかどうかはわかりませんが…。

ともかくまあ、素のデータを出したら誰かがエディットするかも、そこから何か出るかも、というのは、今の時点では相当現実味のある話だと思うんですよ。ほら、それこそ Web2.0 とか近ごろ言ってる話の中の、「User Add Value」とか「Some Rights Reserved」とか「Design for Participation」とかと同じで、やっぱり「ユーザは賢い」という前提で作るということも必要なはずだと思うのです。だってデータの使い方は、別の人が考えたって構わないわけですから。

とか、9年も前の雑誌記事なのに、やけにいろいろ考えさせられました。はい。

投稿者 ryoji : November 20, 2005 12:22 AM

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コメント

9年前の記事と考えるとたしかに興味深いですね。ちょうどその1年前(要するに今から10年前)が東京都現代美術館を筆頭とした、今ビクビクしている美術館のオープンに当たっているので、そのころから本気でここで討議されている問題が少しでも実行されていれば、これほどまでに美術館が催事場化しなかったのかなとも思います。美術館建設ラッシュの最後の頃の美術記事と現在の記事を読み比べると、見落とし続けていたものが見つけられるのかな?とふと思いました。
ところで、話が変わりますが、北斎に行きそびれていて、噂を聞く限りあまりにも込んでいるので時間を考えてしまいます。。。。

投稿者 コーノ : November 23, 2005 11:55 AM

催事場化…うーん、どうなんでしょうね。でも研究機関としての美術館というのは、普通の人にはあまりイメージとしてないことは確かでしょうね。学芸員になりたいっていう学生さん達の中にも、イベントをやる企画屋さんみたいのが学芸員だと思ってる人は多いような。
あー、北斎展は確かに混んでます。平日でも7~8,000人ペースです。もし可能なら平日の朝とかがいいと思いますが…。

投稿者 ryoji : November 23, 2005 11:54 PM