« 南直人『ヨーロッパの舌はどう変わったか』 | メイン | 信長だけど? »

January 08, 2006

最上敏樹『人道的介入』

以前に一度読んではいたのですが、帰省の際に新幹線の中で最上敏樹『人道的介入』を読みかえしたのでした。

人道的介入―正義の武力行使はあるか

ソマリア、ルワンダ、ユーゴなどの「介入」の事例を辿りながら、国際法の見地から「人道的介入」が合法となる条件や、武力行使を伴わない介入のあり方などを模索しています。NATOによるユーゴ空爆の事例は人道的介入としては問題が多く、モデルケースとは言えないため、あれをモデルにしてもあまり意味がないといいます。また後半では国境なき医師団を例に挙げながら武力を伴わない市民的介入や、こうした市民的介入の安全確保のための(かつそのためだけの)武力行使の可能性について論じています。基本的には、非人道的状況に対して介入が必要なことはありうるが、犠牲者の人権を保護し、迫害される人々へのアクセスを確保する活動が中心になるべきで、武力の行使は最小限でなければならず、まして加害者への懲罰は最も慎重にならなければならない、と。

大変示唆に富む内容でした。一度読んでいたのに、1971年に行なわれたパキスタンによるベンガル人虐殺のことなんて完全に忘れてましたよ…。

ところで、NATOによるユーゴ空爆について、スーザン・ソンタグがそれを支持するような発言をしていな、と思い出したので、『この時代に想う テロへの眼差し』(NTT出版、2002年)もぱらぱらと見てみると、

そうです。あまりにも多くの残虐行為を承認してきた、バルカンの戦争実行者、独裁者の動きを封じ、できれば倒す試みをするという、あの遅すぎた決定を私は支持しました。NATOが戦争をいかに遂行したか。自分たちの側の軍隊をリスクにさらさないで死傷者や損害を制限し、地上の民間の損害を最大限引き起こす、そのやり方は当時もいまも私は支持していません。(pp139-140)

何もしなければ虐殺が続く、だから軍事介入は正当だ、と。しかし引用の後半「そのやり方」の部分こそもっと焦点があてられるべきだと感じました。あの空爆を支持する/支持しない、ではなくて、「どのように」被害者を支援するのかという議論に集中するべきだったはずでしょう。そしてベオグラードを爆撃するという「懲罰」よりもコソボにいる被害者を保護するほうが優先されなければならないならば、「何もしない」かわりになしうることがあのような空爆だけだったはずはないと思わずにおれません。もちろん僕は「どんな戦争地帯にも一度も近づいたことがなく、戦闘に与したり、爆撃のもとで生活したりするとはどんなことかこれっぽっちの考えもない」(p119)ので、ソンタグのような人からすれば何も言う資格などない、ということになるかもしれませんけど。でも「見たことのないものについては、どんな立場もとるべきでない」というのは間違ってると思いますけどね。いやそれはいいんだけど、時間をおいてまたああいうことについて考えてみるというのも、必要かなと結構本気で思いました。憲法改正論議とかの中でも、80、90年代あたりの近い過去については言及されることが少なすぎるように思いますし。

そんなわけで(?)、今同じ著者による『国連とアメリカ』を読んでます。こちらについてはまたいずれ。

投稿者 ryoji : January 8, 2006 01:06 AM

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://ryoji.sakura.ne.jp/mt/mt-tb.cgi/275