大辻 清司『写真実験室』映画上映と対談の会

先月観た展覧会の関連企画で、講師に写真家の 高梨 豊 と詩人・映像作家の 鈴木 志郎康 を迎えた対談と同時に、大辻の2つの フィルム作品である『キネカリグラフ』('55/'86再制作) と 『上原2丁目』('73) の上映をするもの。対談は比較的オーソドックスな 作家にまつわるエピソード ─ 午前中は仕事できない、といった ─ や仕事の 位置づけを解説するものだった。一つ面白かったのは、大辻が雑誌『芸術新潮』の カメラマンをしていた時のフィルムのコンタクト・プリントの中に、個人的な 仕事がしばしば現れていたということだ。「やとわれ仕事」と「個人的制作」を 隔てない姿勢は、大仰に構えない大辻の写真そのものに現れていると思う。

さて目当てのフィルムだが、『キネカリグラフ』は、カメラで撮影するのではなく、 針や紙ヤスリでフィルムをひっかく「スクラッチ」技法や、フィルムに直接塗料を 塗るなど、物質的にフィルムを加工することによって出来上がる抽象的な作品だ。 Norman McLaren の作品について伝え聞いたことが制作のきっかけとなったそうだ。 僕は学生の頃どこかで、1960年代のアメリカ西海岸を中心とする いわゆる「構造映画」を数本まとめて観たのだけれど (記憶が曖昧な上 資料が見つからない…)、それにかなり近い。色彩豊かな美しい作品だが、 カラーフィルムは使っておらず、色はすべて塗料による、とのこと。
アクションペイティングの映画版といえば、雰囲気が伝わるだろうか?

『上原2丁目』(正確には「渋谷区上原2-43」)は、固定したカメラで400フィート (カメラに収納できるだけの長さで、24コマ/秒で約11分) をただ撮影しっぱなしにしたフィルム。場所は狭い路地で、画面奥は T字路になっている。人々の足音や車の音が生々しく、 散歩する老人やカメラに気づいて足ばやに横切る人などが、淡々と映し出される。 後半になって下校中の小学生が騒がしく登場し、タクシーが停車してサラリーマン 風の男性数名が降りてくるあたりは、奇妙にドラマチックで、偶然にしては 出来すぎのような気もする。が、それを「ドラマチック」と見てしまうのは 前半が (というよりほとんどの部分が) あまりにも淡々としているせいだろうか。 「作られていない」日常の風景に、小さいけれども豊かに事件が起きていることを 気づかせてくれる、非常に気持ちの良い作品だと思う。

大辻本人も会場に来ていたのだが、『キネカリグラフ』について少しコメントした だけで、ちょっと残念ではある。また、対談も時間切れで、大辻の後期の作品に ついての話が聞けなかったのも、やや欲求不満気味。
もちろん、2本のフィルムを観ただけでも、行って良かったと思うけれど。


Review 1999[Index]
Murata Ryoji - <ryoji@cc.rim.or.jp>
$Date: 1999/02/11$