『アクション ─ 行為がアートになるとき 1949-1979』

1950年代から1970年代を中心に、美術表現において「行為」が果たしてきた 役割を検証する展覧会。アクション・ペインティングのように成果物としての 作品が比較的重要視されるものから、物質として残っているものはほとんど 「記録」としてしか意味を持たないようなものまであるのだが、一応物体を 中心に展示している。まあ、それ以外にやりようがないとは思うが、 モノを見ても別にどうということもない、という作品が少なくないのは確かだ。 そのぶん、数多くのヴィデオを展示してある。会場内ですべてを見るのも ちょっとつらいので、まとめて見られるブースなどがあってくれると 良かったのではないだろうか。

会場の入口には、村上 三郎 の「紙破り」で破られた紙のようなものが設置して あるなど、ちょっとした演出があるものの、Jackson Pollock の作品から 始めているなど、構成には目新しさはあまりないかもしれない。
眼についたものとしては、まず先日世田谷美術館で 絵画を見た 田中 敦子 の『電機服』(1956) だろうか。 手で鮮やかに彩色されたこの作品は、数分おきに点灯されている様子を見ることが できる。結構大きくて、これを着るはかなり大変そうである。

また、Yve Klein や Joseph Beuys 、あるいは Gilbert & George といった、 こうした分野で重要とされているよく知られた作家の作品も、もちろん あったのだが、むしろ、これまでそれ程認知されていなかったような仕事の ほうが、僕は新鮮で面白かった。例えば、Chris Burden の 『5日間ロッカー作品』(1971) や Robert Morris の Untitled (Standing Box) (1961) などがそうだ。こうした作品に きちんと照明をあてているという点で、認識を新たにするにはいい機会かも 知れない。

日本の作品で言えば、「具体」グループの活動から「ハイ・レッド・センター」 の一連のアクションも、まとめて見ることができる。特に印象に残ったのは 赤瀬川 源平 の『復讐の形態学(殺す前に相手をよく見る』(1963) を はじめとする一連の「千円札事件」関連の物件だ。作家の置かれた社会的状況 まで作品化してしまおうとする貪欲さが伝わってくるようだ。
しかし、海外の作品に比べて日本の作品のほうが理解しやすいように感じられた のだが、こういうところに国民性は表われるものなのだろうか。あるいは 単に良く知っているせいなのだろうか。僕にはよく解らない。 いずれにしろ、「ハイ・レッド・センター」の 『ドロッピング・イヴェント』(1964) のようなイヴェントは、 僕は妙に好きだったりする。

とにかく作品点数が多くて書いているときりがない。非常に充実しているし、 勉強にもなると思う。ただ、後半は疲れてしまってちょっと丁寧に見られなかった ような気もするのだが。それに、結局のところここにあるのは「記録」でしか ないものが多くて、そういう意味では美術館に収蔵されるものを見ても たかが知れていると言うことはできるかもしれない。

展覧会のカタログは、これまたとても充実している。豊富な図版と分量の多い 論文が所収されていて、見ごたえ充分。3,800円は安いと思う。 部数が限定3000部というのが残念というか、ちょっともったいない気がするが。


Review 1999[Index]
Murata Ryoji - <ryoji@cc.rim.or.jp>
$Date: 1999/03/06$