『ヨシタケシンスケ -このごろのあのころ-』

現在のところ CF での美術製作など広告関係の活動を中心に展開している studio BIG ART。 東神奈川にあるビルを活動の拠点にしている彼らが、同ビル内にイヴェントスペース space BIG ART をオープンした。今回の展覧会はそのメンバーである ヨシタケ シンスケによる個展。

会場に入ると、奇妙な着ぐるみが並んでいるのが眼に入る。おおむね、ツナギ状の 服とヘルメットのような「かぶりもの」で構成されている。ツナギ状の部分は どれもほとんど同じなのだが、「かぶりもの」のほうはそれぞれ異なる機能を もっていて、そこが作品の中心を占めている。

例えば ACcess 100 (1995) には「のぞき穴」がない。かぶると 真っ暗で何も見えないのだ。そしてこれには電源コードがついていて、 うまくコンセントに差しこむことが出来ればヘルメット正面の扉が開いて 前を見ることができる。しかし真っ暗な状態からコンセントを探しあてるのは ほぼ不可能で、そばでその場所を教えてくれる人が必要だ。

DIVIDER (1996) は二人一組でかぶるもの。二つのヘルメットは 一つのスピーカに接続されている。一方がしゃべっても、それがどちらの発言なのか 第三者には決定できない。これは発言に対する責任を軽減する装置だ。

あるいは WING (1996)。翼の描かれた折りたためる板を背負って 建物の隅にうずくまると、それはぴったりと閉じてしまう。隅っこに 狭いけれども誰の邪魔も入らない自分だけの空間を作りだす 「自分を守る翼」。

ほかにも沢山あるのだが、ヨシタケの作品は多くは他者との関係の中に挿入される ある種のデバイスである。それは僕たちが普段意識していながらも、めったに 表に出すことのない(あるいは、出すことのできない)心情や葛藤を表面化する。 僕たちの人間関係が日常的に抱えている「居心地の悪さ」を先鋭化するのだ。
そういう意味では、彼の仕事は スタジオ食堂 の 中山ダイスケ の作品を観たときに感じたものと 一脈通じるものがあるのかも知れない。だが、中山ダイスケの作品に見られる 鋭利な形態は、ヨシタケの造形にはまったく現れない。ヨシタケのそれは あくまで柔らかく、丸く、かわいらしい。そしてそのことが、人の抱える 弱さや狡猾さといったものを単にネガティヴなものではなく、 「とほほ感」というか、ある種のやさしさを持って受け入れることの出来るものとして 感じさせてくれるように、僕には思えた。

さて、「かぶりモノ シリーズ」では新作が一点のみでやや物足りない気も したが、今回は「このごろシリーズ」と題したドローイングの連作も 展示されいる。日常の様々な瞬間を捉えたイラストレーション的なドローイングで、 何かを感じり思ったりしたときの思考とその時のポーズが描かれている。 妙に「ありそう」なポーズだったり、微妙に思考とのズレを感じさせるもの だったりして、とてもユーモラスだ。

また、会場ではヨシタケの作品集が販売されている。

『ヨシタケシンスケ作品集』

自費出版ということで、全ページ白黒の地味な本ではある。これまでの 「かぶりモノ シリーズ」の作品の図版と「このごろシリーズ」、そして まだ実現(立体化)していないプランが紹介されている(これが結構面白い)。 さらにマンガ『まだちゃん と もうくん』が巻末についており、 なかなか魅力的な冊子になっていると思う。

会場で作家と話をしてみたのだが、今後どのような活動を展開していくか という点に関しては、まだ迷いがあるようだ。若くて大学も出たばかりであるし、 そこは大いに悩んで納得のいく方向を見定めてほしい。まあ、現代美術の フィールドでやっていくにしろ、別の方法をとるにしろ、 僕としては彼の仕事にこれからも注目していきたいと思っているけれど。


Review 1999[Index]
Murata Ryoji - <ryoji@cc.rim.or.jp>
$Date: 1999/03/14$