『シュポール / シュルファスの時代 ─ ニース〜パリ 絵画の革命 1916-1979』展

1960年代後半から1970年代前半までフランスで活動したグループ Supports / Surfaces の回顧展。Supports / Surfaces (支持体/表面) の名前が 初めて使われるのは1970年で、またその名前が使われた展覧会は1972年までの 4回にすぎないのだが、この展覧会では1966年から1977年までが対象に なっているし、直接このグループに参加しなかった作家の作品も含まれている。 ここには、Supports / Surfaces を歴史的に位置付けようとする試みが 表れているようだ ─ ただしアメリカ絵画抜きで。例えば Yve-Alain Bois は そのような contextualize に不満を漏らしている。 (cf. ARTFORUM, Dec 1998)

Supports / Surfaces の作品ではその名にあるように支持体や表面に焦点が あてられている。絵画の手段/条件がその対象になっている、メタ絵画的な 試みだ。還元的なアメリカ絵画のモダニズムに対して、絵画の脱構築として とらえられるのが通例らしい。しかし、これがミニマリズム以後の絵画の 再検討なのかどうか、という問題よりも、個人的には政治的な背景との関連のほうが より興味深いように思う。1968年の5月革命への反応などとあっさり言われても、 マルクス主義-毛沢東主義から、ただちに絵画の唯物論的分析として その物質性が問題になるというのは、いささか単純すぎるような気がするし、 それになぜそこで絵画が対象になったのかも不明だ。

この点ではカタログにある Marcelin Pleynet の説明が説得的だと思う。 つまり Supports / Surfaces にとって美術に固有の問題をあつかうことと、 政治的異議申し立ての言説との間にあったのは、 「勇気と、御都合主義、現実主義の効果的な結合」 [1] ではないかということだ。 もし Supports / Surfaces を「もの派」と対比したりするなら、 こういう視点を欠いてはならないと思う。そんなわけで、僕としては Pleynet のインタヴューの最後の部分に注目したい。

記憶に留めておく必要があるのは、この歴史(その一部始終)がド・ゴール主義から ミッテラン主義に移行したということ、そしてそれがひとつの国、つまり、 国家の相対的な自律性を求めた末に、国家の実質を徐々に失なっていこうとしている あるひとつの国における歴史であるということです。 [2]
なにが言いたいのか自分でもよくわからなくなってきたけれど、 形式的な方法論だけを問題にするなら、Supports / Surfaces は少くとも 僕にとってそれほど興味を魅くものではないということは確かだ。
Review 2000[Index]
Murata Ryoji - <ryoji@cc.rim.or.jp>
$Date: 2000/1/31$