『日本の前衛 Art into Life 1900-1940』展

会期終了間際になってしまったけれど、気にはなっていたので水戸まで行ってみた。 1900年から1940年までが対象になっているが、日本のこの時期の前衛芸術といえば ヨーロッパのアヴァンギャルドの動向を盛んに受容していったものと捉えられるのが 普通だ。この展覧会ではそれを一方的な受容ではなく、日本にも前衛的な活動を 促した土壌があったのではないかという視点から、日本の前衛の自律的展開を 検証しようというものだ。戦後という枠組で語られる場合の現代美術でも、 欧米の動向の受容はいつも問題になるわけだけれど、「日本の美術は欧米からの 輸入にすぎない」という物語に対する反応ではあるのだろう。 もっとも、内発的・自律的でなければ「本物」ではない、という見方のほうを 問題にしてほしいと思うこともあるのだけれど。

そういった背景はさておき、会場にはこれまであまり紹介されて こなかった珍しいものがいつくかある。ヨーロッパの美術への日本からの 影響ということで Meis van der Rohe の建築が挙げられることはよくあるし、 この展覧会でも取りあげられているのだが、他にも 「未完の『前衛』 ─ ある知られざる交流」と題されたところで Johannes Itten と 竹久 夢二 の交流が紹介されている。中国の山水画のような構成の「山」や、 一連の水墨画の習作は新鮮だ。また Bauhaus での Itten の予備課程での 学生の作例にも、前衛書を思わせるものがあったりする。もちろん、それらの 習作を Rohe が日本建築から受けた影響と同様に扱うことができるのか、 というのは疑問として残るのだが。

あるいは、萬 鐵五郎 や 恩地 孝四郎 におけるフォーヴや Kandinsky の影響と、 普門 暁 らの未来派からの影響を比較してみることができる、というのも面白い。 それぞれの影響の受けかたや、その結果が決して一様でないことがよくわかる。

とまあ、かなりお勉強モードが入ってしまったけれど、興味深い作例が 観られたのは収穫だった。水戸芸にしては地味めの企画ではあると思うけれど、 見かけよりは野心的といえそうだ。「自律的な展開を検証する」と言っても、 別に自文化中心的なわけでもないし、建築やデザインを含む広範なジャンルを 扱っているという所もいいと思う (範囲の広さからくる各ジャンルの中での 偏りについて、カタログの文章にやけに釈明が多いのは気になるが)。 こういうのを観ると、今度は戦前から戦後にかけてどのような連続と断絶が あったのかというあたりが気になってくる。やってくれないかしら。


Review 2000[Index]
Murata Ryoji - <ryoji@cc.rim.or.jp>
$Date: 2000/3/21$