『BIT GENERATION 2000 テレビゲーム展』

物足りな〜い。
もっと沢山プレイしたい。もっと沢山展示してほしい。もっと色んな角度から 検証してほしい。もっとコインよこせ。

夏の間は神戸ファッション美術館で展示していた、 テレビゲーム・ミュージアム の企画による巡回展。テレビゲームの歴史を多角的かつ包括的に検証する、 ということなのだけど、なにしろ数が足りない。もちろんゲーム機を集めるのは 大変だろうけれど、現代美術風のインスタレーションや、コントローラの種類や キャラクター・グッズよりも、まずゲームそのものが主な展示になっているもの、 とばかり期待していた。なにもポケモン・グッズで一室埋めることはないでしょう。

美術館ならでは、という展示もいまひとつ感じられなかった。視覚的な側面に 眼を向けるなら、処理速度が上がってドット絵からポリゴンになりました、 では絶対に済まされないはずだ。そこには固有の空間表現や色彩の効果がある はずだし、ゲームによって開示された世界のモデルだってあるはずだと思う。 インタフェースの話をするなら、多様なコントローラがあるというだけでなく、 入力操作の記号的な体系性 - 格闘ゲームのコマンドのあの複雑さ! - とか、 もう少し突っこんだ視点が欲しいと思う。

そういう意味では、カタログの伊藤ガビンの文章は、野球ゲームのモデルが 野球盤からメディアを通して見た野球へ変化していった過程を論じていて面白い。 展示にもこういう角度からのアプローチがあれば面白くなると思うのだけれど。 また、ショップで売っていた _テレビゲーム・ミュージアム・プロジェクト編 『電視遊戯時代 テレビゲームの現在』(ビレッジセンター, 1994, ISBN4-938704-35-8)_ には「シューティング・ゲームのコア化」とか 「リ・メイクとリ・イシュー」などといった項目があって、それぞれ浅くでは あるけれど広い領域をカバーしていると思う。

数が少なくて不満はあるものの、展示されたゲームのセレクトはそれなりに 納得いくものだった。個人的には、「アステロイド」(アップライト、1979) が あの匡体でプレイできたのは感動もの。でも椅子がないとか、ゲーセン特有の 音の充満した感じがないとか、プレイヤーを見守るギャラリーがいないとか、 ノート (攻略法等の情報交換メディア) がないとか、やっぱりここは ゲーセンではなくて美術館なのだなぁ、などと感じてしまう部分もある。 美術館をゲーセンみたいにしろというのではなくて、単純に、美術館は ゲームにとっての「現場」からは遠い所なのだ、と改めて思ってしまった。

やはりこれだけ拡がりのある文化を、一つの展覧会で包括的に扱おうとすれば 限界もあるのだろうか。今後のテレビゲーム・ミュージアムの活動に期待したい ところだ。別に美術館でやらなくてもいいから。


Review 2000[Index]
Murata Ryoji - <ryoji@cc.rim.or.jp>
$Date: 2000/11/15$