やったもんがち芸術論
第13回(最終回)

「芸術とは」とは

昔とは違う美術の手法について、これまで何度かお話してきました。新しい試みが 始まるなら、終ることもあります。様式や手法は歴史的な存在ですし、芸術という 言葉が指す対象も変化します。その意味で芸術は永遠ではありえません。それは 変わりつづけるからです。

それでも「芸術とは何か」という問いは後を断ちません。芸術を定義しようという 試みは様々になされてきました。「内面の表現」とか「想像の世界」とか。 実際僕たちはあるものを芸術だと思い、別のものはそうは思いません。 しかしその判断の根っこには何があるのでしょうか。僕は、社会的な慣習や価値観が あると思います。だから芸術と呼ばれるものが芸術だ、としか言えないと思うのです。

なぜなら、たとえ定義があってもそこからはみ出していくことこそが芸術にとって 重要なはずです。必要なのは限定ではなくて可能性だし、多くの芸術家が実際にその 可能性を拡げてきました。芸術は変化します。だから「芸術とは何か」という問いは、 結局のところ擬似命題にすぎないのです。とはいえ、芸術の定義が役に立つことも あります。気にくわないものを「芸術」から排除しようとするとき、また気に入った ものを何か立派そうに見せたいとき、芸術の定義がどうしても必要になるからです。

「芸術とはこれこれである」という語りを前にした時、どうしてもその内容に眼が いきがちです。でももっと大事なのはそこで語られていないことなのです。そこから こぼれおちているもの、「芸術」から締め出されているものを見逃がさないことです。

「芸術とは」という問いに用意された答えの背後にあるもの、そこにこそ 新しい可能性が拓けているのではないでしょうか。

(2000/2/18)


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Murata Ryoji - <ryoji@cc.rim.or.jp>