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February 02, 2005
溝口理一郎『オントロジー工学』
ドメイン・オントロジーの勉強とかしてるので、ズバリなタイトルの本を買ってみた。前半は開発方法論やアプリケーションの話が中心で、実用的にふむふむ読んだのですが、後半が困ってしまいました。オントロジー基礎論ということで、基礎的な問題を扱っていく、というのだけれど、「表現のオントロジー」として創作(音楽や美術や文学)の分析をしはじめるところで、つまずいてしまいました。つまずいた、というより、ついていけなくなった、というか。オントロジー開発ってオブジェクト指向分析によく似てるし、それって記号論的な概念分析にもそっくりだと僕は思ってるんですね。例えばこの本で「楽曲のインスタンスは楽譜か演奏か」みたいな問いがあるんです。で、僕はだいぶ前に増田さんの「ポピュラー音楽における「作品」とは何か」を読んでオブジェクト指向っぽいなーと思ったことがあるんですが、これを荒っぽくしたような議論が展開されるんですよ。なんか記号論の復習してるみたいでまわりくどーい、という感想と同時に、こういう議論をしていて著者が期待する(しているであろう、かな?)ような「専門家によるごく少数のトップレベル・オントロジー」にはとうてい辿りつかないんじゃないかな、と。いや、直感的にそう思うだけですが。だって作品概念の分析自体、こうして美学の研究の対象にもなるわけじゃないですか。そんでこの手の研究によって、作品なら作品の概念規定がどっかに収斂していくとは思えないんですよね。なんとなくですけどね、あくまで。どうも僕が構造主義の子供(謎)だからか現代美術なんて変な分野に関ってたからかはわかりませんが、不用意に「本質的」とか書いてあるとそれだけで違和感を感じてしまうし…。うーむ。
文学についても例えば「源氏物語は何の上に書かれたかということとは独立した概念であり」みたいなことは、図書館の世界では IFLA の Functional Requirements for Bibliographic Records なんかで Work - Expression - Manifestation - Item の4層モデルとしてかなりきれいに分析されてますが(オントロジーじゃないですけど)、これを博物館で使えと言われたら冗長すぎてヤになっちゃうんですよ。だからわざわざ別のモデルを作ってマッピングをしてるのです。これはドメイン・オントロジーですが、表現の問題がバッチリ密着してるんで、著者がトップレベル・オントロジーに必要と考えてる「表現のオントロジー」と関係が深くなっちゃうんですよ、どうしても。だから、合意できない前提がどんどん積みあがっていくのには、ついていけなくなってしまうんですよねー。
もちろん著者も「解の提案にすぎない」と断わってるんですけどね。しかし、僕自身は結局のところ徹頭徹尾工学的近似っていうか、まあ使えさえすれば「本質」のことなんか忘れてしまえ、という立場なのだなぁ、と、逆に実感したのでした。
自分が工学の人に期待するとすれば、開発方法論もですが、OWL のようなオントロジーの相互利用の領域と、メタモデルの領域でしょうか。「WWWの人々は極度に集中管理を嫌う。一方 AI 出身の人々は自由放任のタグを使って意味処理ができるわけがないことを知っているので、何らかの制御/管理が必要であると考えている」とのことですが、ここら辺、まとまって読めるものないかなー。
投稿者 ryoji : February 2, 2005 12:10 AM
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