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July 08, 2005

美術資料情報の基本問題 - 単位

美術資料、いわゆる作品の情報について、どういう形でデータを採録するかといったことを考えるときに、考慮しなくてはならない基本的な問題がいくつかあります。その中でも根本的なものの一つとして、資料の単位について、言い換えれば「一つの作品」とは何か、というものがあります。ここで問われるのは「作品」じゃなくて「一つ」のほうです。普通、作品の情報というのは作品一つずつとることになるのですが、その「一つ」って何だ、という問題。

額に入った油絵なんかでは、たいてい一つの物体が一つの作品になっているので、比較的迷うことが少ないないかもしれません。しかし物理的にいくつかの物体からなる作品というのは結構あります。例えば一双の屏風は右隻・左隻の2つの物体からなる。仏像で三尊像だと3躯ある。上中下の3巻からなる絵巻。先の油絵だって、例えば三幅対を1つの作品とみるか3つの関連する作品とみるかは自明ではないでしょう。

一応、こういうよくあるパターンについては慣例的に一まとまりで一つの作品とみなすことも多いようです。その場合、各物体はその部分であると見做されます。でも上とは逆のパターンもあって、複数の作品と見做しうるものが一つの物体にまとまってるものとかもあるんですよね。例えば、尾形光琳の「風神雷神図屏風」の裏に酒井抱一が「夏秋草図屏風」を描いていたりします。これは今では別々にされていますが、かつては一体でした。あるいはかつて着物だった古い布切れを切って、屏風に貼り付けたりパッチワークみたいにしたものとかもある。もともとは直接関係のない能書家や宗教家の手紙を何通かまとめて一巻の巻物に仕立てたものもある。さて、ここにはいくつの作品があるのでしょうか。

さらに考古遺物を考えると、例えばコナゴナになってる土器片はどうするのか。何個分の土器が復元できるか見当もつかなかったりするわけです。ほかにも、誰かが亡くなって遺品を歴史的資料として博物館に寄贈する、ということはよくあるのですが、ダンボール何箱分もの資料の中に手紙もあればノートもあれば標本もあれば写真もある、とかね。で、この辺になると「一括資料」として特に数を云々しない場合が結構あるようです。それで「そちらの館には何件の資料があるのか」という問い合わせには大変答えにくいことになってしまうという。

というわけで、おそらく資料情報をとる単位というのは「その都度任意に決める」としかできないだろうと。資料に対する関心のあり方によって違ってくるところもあるし。細かいデータが必要なら、例えば婚礼用具一式の中の箪笥一つ、化粧道具一つ、というふうにとることもあるでしょう。そうでなければ一式まとめてデータをとることもあるでしょう。そこらへんは先験的に決めておくことはちょっと難しいだろうと思っています。美術館なんかでは資料の貸し借りがありますが、例えば鎧と兜で一具としてデータをとっておいても、兜だけ貸してほしい、なんてこともあるわけで、兜だけについて例えば保険のための評価額を出すとかしないといけないかもしれない。10枚組でデータをとった水彩画のうち1枚だけをある時展示したとしたら、作品保護のためにその1枚だけはしばらく時間が経つまで展示しない、ということになるかもしれない。このように、あらかじめ決めておいたとおりに資料情報が運用できるとは限りません。あと出来るのは、そうやって同じものについて異なるレベルでデータが作られたとき、その間の階層関係を維持する方法を考えるとか、そういう方向になってくるでしょう。

美術館・博物館のような組織に限っていえば、多少とも客観的で一貫性のある単位として、買取や寄贈によって受け入れたときのまとまりというのは使えるでしょう。あるまとまりに対してお金を払ったりしてるわけですから、それを一つの単位とみることには正当性がありそうです。資料番号なんかもおおむね受け入れと整合するように付けられているようですし。ただ先の一括資料のようなこともあるし、本来一つの作品として扱いたいものでも予算運用の都合で去年は1巻から5巻、今年は6巻から12巻を購入、なんてケースもおそらくあるでしょう。ひょっとすると、受入記録がほとんど残っていない個人の膨大なコレクションがまずあって、そのために作られた資料館とかもあるかもしれません (うーん、これはたぶん実際にあるな)。

Getty Research InstituteCategories for the Description of Works of Art では、どういうレベルでとられたデータなのか、item なのか group なのかなどを Object/Work の Catalog Level に記録せよ、ということになっています。レベルの選び方については

The level of specificity at which an art object, architecture, or group of works is described will depend on the practice of the individual institution.

また、

The whole/part designation of the work may be relative and changeable.

とも。だからまあそういうことです。しかしレベルについて item とか group とか collection とか書くことが required とされてるのはどうなんだろう? うーん、まあ日本語だと、員数 (ものの数) のデータに助数詞がつくので、「六曲一双」とか「3幅」とかあれば記述のレベルがわかりますね。

ああっ! "Revisions are currently ongoing through Summer 2005" って書いてある! これ今まさに改訂してんのかー。

あとちょっと自分の領域からはずれるのですが、文書(もんじょ)方面というかアーカイブズのほうでは「出所原則」というのがあって、資料の出所が基本的なまとまりになるようです。このまとまりを「フォンド」と呼んでいて、ある個人や組織の活動のなかで形成されてきた資料の総体として尊重しなさいと。違うフォンドに含まれる資料同士を混ぜたりくっつけたりしちゃ駄目なんだそうです。

なんかすごい散漫になってしまいましたが、こんな単純そうなことでも結構問題があるということで。

投稿者 ryoji : July 8, 2005 09:25 AM

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トラックバック時刻: July 9, 2005 11:35 AM

コメント

監視制御システムの監視制御対象のモデル化の際にも、似たような話がありますね。機器の単位をどうするかという。
例えば、ポンプという機器を取ってみても、そのサブの機器にモーターとか吐出弁とかがあったりとするわけで。
こちらの分野では、基本的に複合オブジェクトとして機器を扱って、木構造を使って階層的にモデル化するというアプローチを取りますね。
作品の場合、階層的なアプローチは採りづらいのでしょうか?

投稿者 TFJ : July 10, 2005 02:55 PM

謎の trackback はちょっと面白いのでそのままにしといて、と。

ええ、TFJ さん、階層的に見てツリーとして管理するというのが一番現実的だと今のところは考えています。階層をどこで区切るかについても、あらかじめ決まりはしないのですが、それはそのノードが必要とされる都度、末端の子を増やすとか中間のノードを増やすとかまとめるとかするしかないなぁと。ただこれでも、解釈というか視点によってツリーの形が複数ありうるという問題は残ってしまいますが。

ミュージアムにおいてはモノの管理、とくに移動を念頭に置いた管理が必須ですから、物理的にバラになってるモノから一部ずつだけ (第一巻の2枚目と第二巻の1枚目とか) をとり出して一つのノードにまとめる、ということはありえないので、物理的にバラけてるかどうかを一つの制約にすることは可能なのですが。

でも、現実にはどれもこれもがそんなに複雑なわけではないのですけれどね。

投稿者 ryoji : July 11, 2005 12:12 AM

なるほど、木構造の一意性の問題がありましたね。

監視制御システムの場合、もともと物理的化学的なシステムを相手にするシステムなので、けっこう即物的に決められる所はあるかも。美術資料の場合、「作品とは何か」という面から入ると、作品解釈に木構造が思いっきり左右されそうですね。うーむ。

階層の深さについてはあらかじめ決めなくても、再帰的に定義しておけばよいのはないでしょうか。Composite pattern というか。

投稿者 TFJ : July 11, 2005 12:52 AM

美術資料もなるべく即物性優先で、と考えたほうが問題が起きにくそうだな、とは思ってます。
と、そうですね、再帰的にやればよさそうです。あ、Composite pattern てのがあるんですね (勉強しとけよ>俺)。参考になります。マニアックすぎる話題かと思いましたが、コメントもらえるとやっぱ書いてみるもんだと思いました :-)。

投稿者 ryoji : July 11, 2005 01:25 AM

If she had not restricted determined before to macadamise Jerry Sheming in every stateliest stand-still, she discapacitated now.
free ringtone

投稿者 free ringtone : October 20, 2005 07:07 AM

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