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September 22, 2007

ケルン大聖堂、ゲルハルト・リヒター、マイスナー大司教、退廃芸術

ケルン滞在中に地元で大きな話題になっていたマイスナー大司教の「退廃芸術」発言問題。Wikipedia の Joachim Meisner の英語版およびドイツ語版にはすでにこの話が出ています。興味深いところのある話題なので、少しまとめてみます。

ケルン大聖堂はゴシック建築の代表的な教会建築ですが、ここの南面のステンドグラスを存命中の最も重要な芸術家にも数えられるゲルハルト・リヒターが手がけ、今年の8月25日に完成しました。リヒターのカラーチャート絵画を思い出させる抽象的なパターンによって構成されたもので、大変美しいものです。ところがマイスナー大司教はこれに批判的で、「大聖堂には似合わない。むしろモスク向き」などと発言していました

で、僕たちが大聖堂を見に行った14日は、比較的近くにある Kolumba という美術館のオープニングだったんですね。Kolumba については改めて書きますが、古くから教会があった場所で、遺跡や旧教会の建物の一部を活かした美術館としてリニューアルされたんです。で、その式典のためにマイスナーは大聖堂でのミサの後、Kolumba へ行列で移動して、そちらでもスピーチ。そのスピーチの中で「宗教から離れた文化は退廃する」という言い方をしたそうです。ミサでの説教でも「entartete Kunst」つまり「退廃芸術」という言葉を実際に使っていたようです。

もちろん「退廃芸術」といえば、ナチが1937年に行なった「退廃芸術」展を即座に連想させる言葉です。直接リヒターの作品を非難した形ではありませんが、しかし非難の対象にそれが含まれていることは明らか。そして芸術を批判するためにこうした言葉―ナチの第三帝国がその芸術政策で使った言葉が使われたということに、多数の批判が寄せられました。ちなみに「中心の喪失」という言い方も大司教はしていて、これについて Frankfurter Allgemeine の記事ではハンス・ゼードルマイアに言及していました。

現在も論議が続いているようですが、ひとまず大司教側は「発言は誤解されている」と言っているようです。何しろ僕は直接ドイツ語を読めないので正確に把握しきれていませんが、文化や芸術を巡る発言で新聞の一面に載るようなスキャンダルになるというのは、日本では現在はほとんど考えられないですよね。特に16日の日曜には Die Welt の日曜版の一面に大きくとりあげられてましたし、Frankfurter Allegemeine でもいくつも記事が出ています。どうもこのマイスナーは以前から人騒がせな発言がある人物のようですが…。もちろん単なる批判ではなくてナチ絡みの言葉を使ったからこそ議論が沸騰した、ということでしょうし、その点では日本で少し前に起きた原爆投下「しょうがなかった」発言に似たところがあるかもしれせん。

僕が面白いと感じたのは、これら一連の議論の要素の一つ一つが非常に有機的に関連しあってケルンという都市の文化を作っているということです。ローマ時代の遺跡を残しつつ現代美術まで展示する Kolumba、現代の大画家リヒターのステンドグラスを受け容れたヨーロッパを代表するゴシック建築、逃れようもなく影を落とすナチズムの記憶、美術が今でもキリスト教文化と深いつながりを持っているということ、またこうしたスキャンダルが逆に教会の権威を示してもいるということ…などなど。日本ならいくら有名な僧侶が問題発言をしたとしても、こんな騒ぎにはならないでしょうしねぇ。

僕としては、一通り落ち着いた頃にハーバーマスあたりが何か書かないかしら、と思ってるんですが…。どうかなぁ。

投稿者 ryoji : September 22, 2007 08:15 PM

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