« ケルン大聖堂、ゲルハルト・リヒター、マイスナー大司教、退廃芸術 | メイン | ケルンの Kolumba »

September 23, 2007

リヒターによるケルン大聖堂のステンドグラス

ケルン大聖堂 Koelner Dom の南側のステンドグラスが8月25日にお披露目となり、Dom の隣の Museum Ludwig でも関連の展示が行なわれています。これらについては、次のページにあるビデオ (写真をクリックで表示) が Museum Ludwig での展示と大聖堂のステンドグラスの様子がわかりやすいかと思います。
Gerhard Richter / Cologne Cathedral and Museum Ludwig, Cologne | VernissageTV art tv


大聖堂は本当に馬鹿みたいに巨大です。19世紀のある時期には世界一高い建造物だったそうで、町のいろいろな所から見えます。黒々としたその威容は近くで見ると恐ろしいものがあり、なんというか、怪獣のようです。ゴジラ映画でビル群の向こうにゴジラが見えるシーンがよくありますが、あんな感じ。表面もゴシックのドロドロした装飾で一杯だし、神聖さというよりは力とか強さとか意志とか、そういうものが圧倒的なように思いました。また内部もやたらと高い天井が圧倒的です。

リヒターのステンドグラスは、ランダムな配色をコンピュータで様々にシミュレートしながら設計されたそうです。全てがランダムなのではなく、半分は対照になっています。例えば縦長の6つの窓を左から1, 2, 3...6 と呼ぶとすると、1と3、2と5、4と6がそれぞれミラーになっています。こうした設計がリヒターの過去の作品にあるのかどうかはちょっとわかりませんが。

外から見ても綺麗ですが、やはり大聖堂の内部から見るのが非常に美しいです。特に僕が昼間見たときには、ちょうど南に太陽があって強い光が指しこんで、さまざまな色の光の影を投げかけ、大聖堂の内部が色とりどりに染まりました。また雲が流れて太陽の光を遮るたびに、入ってくる光も強くなり弱くなり、日の光が生きて変化しつづけていることを感じさせてくれます。見ているうちに、意識がステンドグラスから光自体に集中していくのに気づきました。この作品は光そのものを見せています。このステンドグラスが抽象的で聖人の画像などが一切ないことに不満な人もいるようですが、具象的なイメージがあったとしたら、このように光に集中することはなかったでしょう。

リヒターの仕事は非常に多面的ですが、知覚や光の問題にも継続的に取り組んでいますし、実際に見てみれば過去の作品と表面的に似ているだけではなく、一貫した問題意識があり、またそれがこうした大作に結実しているのだ、と思えます。


ところで、実はいくつかの教会のステンドグラスを見てみると、メインの窓以外の部分では案外モザイク的な抽象パターンが採用されていることに気づきます。ミュンスターに妻の友人と行ったときに見たある教会でもそうでした。そこでその友人が、教会にいたガイドか何かの中年の女性に向かって、「ここのステンドグラスはとても綺麗ですね。ケルンのリヒターのものと同じじゃないですか?」という風なことを訊いたところ「いやいや、全然違う。ここのは神との繋がりがあるが、リヒターのは全然そうじゃない」みたいに反論されたそうです。なかなか面白いですね。

投稿者 ryoji : September 23, 2007 04:42 AM

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://ryoji.sakura.ne.jp/mt/mt-tb.cgi/343

コメント

こんにちは、リヒターのステンドグラスを調べていて
こちらを見つけました。
実際に見られた方の感想はとても生き生きした表現で
その光の光景が目に浮かぶようです。
少しばかり引用・紹介させていただきました。
私もいつかケルンに見に行けたらと思います。

投稿者 whitecoat : December 11, 2007 05:07 PM