大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ 2000 (Part 2)

前回書いた時 から、毎週末に 藤幡正樹の 『体験する一寸法師』ワークショップ をやりに越後妻有へ行っていたわけだけれど、9/3のワークショップで 一応終了ということになった。結局すべてとまではいかないまでも、ほとんど の作品を見ることができた。まぁ、おかげでだいぶ芸術と自然に食傷気味に なったのも事実ではあるけれど。田んぼのまんなかを通ってる時に急に 都会が恋しくなったりとか。 で、せっかくほとんど見たのだから、Ilya & Emilia Kabakov や James Turrell のような作家の作品ではなくて、他のメディアであまり取り上げられていない と思われる作品のうち、特に印象に残ったものについてちょっと書いておきたい。

まずは伊藤嘉朗「小さな家 - 聞き忘れのないように -」。河原の土手に作られた 地下室で、おそろしく地味というか、目立たない作品。中に入ると、入口から ちょうど対岸の一本の木が見える。こういうのが川にあると素敵だな、と思った。 ささやかさがいい。

あるいは景山健の割箸数十万本を使った「HERE-UPON ここにおいて」。 棚田の中の畑の一部にびっしりと割箸が立てられている。まさに「割箸畑」 という感じ。畦の雑草の間や、棚田の間にも割箸が蒔いてあったり、 立ててあったり、あるいはそれを焼いた跡が残っていたり。草むらの中の 割箸はよく注意して見ないと気がつかないほど、そこに溶けこんでいる。

地域へのアプローチ、という点で最も印象的だったのが、 Josep Maria Martin の _Milutown Bus Stop_ だ。犬伏集落で撮影した写真を 基に、架空の映画のポスターを作っている。(「犬伏 Bus Stop」とポスターに あるので、それがタイトルかな?) 地元の普通の人が巨大な映画ポスターに でーんと映っているのが面白い。また、犬伏バス停もリニューアルしていて、 オレンジ色の小屋になっていて、その中でビデオも流していたのだけれど、 これがとっても面白いのだ。地元の人々やボランティアの人達が次々と現れて 一言ずつ語っていくのだが、それが全部ウソ。「この辺の木は夜には歩きます」 「そうねー、ビールはだいたい、一晩に1ケースずつくらいかなぁ」 「この車、内緒なんですけど、ダイヤモンドで出来てるんです。あ、あと 宇宙にも行けるんです。内緒ですよ」等々。ホントに他愛もないんだけれど、 それを言っている人々の微妙な表情が微笑ましいというか、なんとも言えず良い。 地域へのアプローチの大半が自然や土着の文化に着目したり、地域の人々と 共働したりという形でなされている中で、個別の人物に焦点を当てていて 新鮮だった。

これだけの規模の展覧会だから当然だけれど、つまらないというか、特に 引掛るところのない作品が圧倒的に多いとは思う(特に松代町の商店街は 数が多いだけで本当につまらない)。でもそれも、見て回るぶんには メリハリがついていいのかもしれない。

それともう一つ、「サイト・スペシフィック」という言葉がこのトリエンナーレ を巡ってよく使われていると思うけれど、僕の印象では田舎でさえあれば どこに持っていってもそう変わらないのではないか、という作品が多かったように 思う。どうも「大自然」にばかり眼がいきすぎという気がするし、似た傾向の 作品も少なくなかった。「借景系」とか「かかし系」とか。そういう意味で、 地方で展開する現代美術というのは、まだまだ未成熟なのかもしれない。


Review 2000[Index]
Murata Ryoji - <ryoji@cc.rim.or.jp>
$Date: 2000/9/5$