やったもんがち芸術論
第5回

複製

今年に入ってから本格的に GM-NAKI が販売されていますね。 高価な一点もののオリジナル作品に対して、安価な複製を量産するというのは、 実はかなり古くから行われていることです。

絵の複製といえば版画です。木版画は本の挿絵に昔からよく使われましたが、 細かく描ける銅版画が発明されると名画の複製が作られるようになりました。 例えばラファエロの当時の複製版画は良質で入手しやすくって、そのことが彼の 影響力を高めたとも言われています。また、市民革命によって金持ちの客が減ると 自作の版画集を売りさばいて喰いつなぐ人もでてきます。 複製はパトロンから独立するための手段でもあったのです。

でも複製はオリジナルほど価値のあるものではありませんでした。 それは複製の不完全さだけではなくて、本物が一つしかないからでもあります。 写真が登場した頃、本物は価値が無くなるだろうと言われていました。 でも写真によって芸術作品が有名になると、本物を観たいという人は増えたのです。 ルーヴル美術館の「モナ・リザ」の前は、お参りに来た人でいつもいっぱいです。

アンディ・ウォーホルは「ファクトリー」と呼ばれたスタジオで正真正銘の 本物の作品を量産しました。この例は「本物の価値」がどこまで有効なのかを 考えさせてくれます。ちなみに彼は「大統領も乞食も同じものを飲める」 という理由で、コカ・コーラは素晴らしいと言っています。

複製がもつ意味は複雑です。それはオリジナルの価値を高めこともあれば、 それに抵抗することもあるのです。

(1999/09/26)


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Murata Ryoji - <ryoji@cc.rim.or.jp>