やったもんがち芸術論
第9回

売れる

よく芸術は金にならない、といわれます。本当に良いものは大衆には 理解できないとか、評価されるまでに時間がかかるということを理由に、 商業的な成功は芸術性とは対立すると思われているようです。こうした見方 によれば、芸術家は商業的に成功すると「堕落」してしまうようです。 「孤高の芸術家」を信奉する人々にとって、ポピュラーな芸術はそもそも ありえないみたいです。まして企業と結びつくなんてとんでもない。 いいように利用されるだけだ、と考える人は少なくないでしょう。

確かに、この資本主義社会では企業はなにか新しいものをつねに必要とします。 直接商品にならなくても、新しいものの源泉として、芸術が間接的に 利用されていると考えることはできます。芸術が産業と商品のシステムに取りこまれる こともあるでしょう。あるいは企業は芸術家に干渉するかもしれません。

けれども、このような考え方では観衆のことが忘れられています。芸術の意味を 決めるのは、企業でも芸術家でも、批評家でさえもなくて、結局はそれを見る 人々に他ならないのです。企業は芸術を利用するかもしれないし、飼いならす かもしれません。しかし、その意味を決定することはできないのです。そして 売れることによって、芸術は利潤を産みだすだけでなく、文化の状況を変える力を 獲得してもいるのです。

だから明和電機にとってファンは重要な存在であるはずです。それは製品を 買ってくれるお客さんとして、という以上に、彼らの芸術的な実践の意味を 最終的に決めるからです。

明和電機がただ単に売れているだけかどうかは、ファンに賭けられてもいるのです。

(2000/6/5)


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Murata Ryoji - <ryoji@cc.rim.or.jp>