やったもんがち芸術論
第11回

虚構

伝統的な絵画や彫刻は、何か実際の物や景色をそこに写しとりましたが、 小説が実際の人生ではないように、それは本当の物や景色ではありませんよね。 何かの模倣であることから脱脚しようとして、美術家達は様々な挑戦を してきたわけですが、たぶんそんな事情もあって、現代では 虚構との複雑な関係を持つ作品が見られます。

イリヤ・カバコフはシャルル・ローゼンタールという架空の画家の回顧展 という設定で展覧会をしたことがあります。まるで小説のように、カバコフは 登場人物に語らせようとしました。それも言葉ではなく、作品で。その画家の 生涯も作品も展示のための解説文もカバコフの創作ですが、これが回顧展の形を とっているので、まるで物語のようでした。しかも「写実と抽象の関係」が ローゼンタールにとってのテーマになっているという凝りようです。

小説との関係で面白い例といえば、ソフィ・カルでしょうか。奇妙な行動 (探偵に自分を尾行させるとか) の記録を作品にしている人です。 小説家のポール・オースターのある小説には、カルをモデルにした人物が いるのですが、小説の中にはカルが実際に行ったことだけでなく、オースターの 創作も入ってるんです。その創作の部分をカルは実際にやってしまいました。 小説ではモデルになっていたのに、その登場人物をモデルにしたわけで、 ややこしいですね。

土佐信道のエーデルワイス・シリーズは、虚構との関係という点で明和の 魚器シリーズとは違った展開を見せていて興味深いですね。

美術にとっての虚構は、小説や映画にとってのそれとはまた別の可能性が あるように僕には思えるのです。

(2000/10/10)


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Murata Ryoji - <ryoji@cc.rim.or.jp>