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June 30, 2005
うさ耳兜
兜って結構ヘンなモノの宝庫だという認識はあったのですが、うさぎの耳がついてるよ…(しかも片っぽ折れてるよ)。しかしちょっと検索してみると、耳つきは他にも結構ある様子。どうなってんだ…。
投稿者 ryoji : 12:29 AM | コメント (2) | トラックバック
June 28, 2005
千と千尋と柴田是真
『柴田是真-明治宮殿の天井画と写生帖』 @ 東京藝術大学大学美術館を観ました。良かった。映画『千と千尋の神隠し』(dir. 宮崎駿) の湯屋のモデルは目黒雅叙園なんだそうで。ここは鏑木清方とその弟子たちが室内装飾を担当。で、この目黒雅叙園のモデルが明治宮殿 (現在の皇居とほぼ同じ位置にあったそうです。昭和20年に戦災により焼失)。明治宮殿の千種之間 (ちぐさのま。「千」つながりだ…) 天井画の下絵を描いたのが柴田是真というわけなのです。その下絵と、是真の写生帖が展示されています。花丸の下絵はとてもいいです。綴織が焼失したのは大変残念。画帖の絵も魅力的でした。工芸家の下図とか写生って、結構好きなんですよね。楽しめました。
投稿者 ryoji : 11:41 PM | トラックバック
June 27, 2005
木下直之(編)『講座日本美術史 (6) 美術を支えるもの』
読了。
やばい日本美術史オモロイです。半ば義務感で始めたところもあるここのところの読書なのですが、いやーなかなかどうして。木下直之による序文の最初が、
美術史を学ぶ若い人たちが書いたものに、明治初年に美術は生まれた、それ以前に美術はなかったという表現を目にすることが多くなった。それは大いなる誤解だよと、すっきりしない気持がいつも残る。
という書きだしで、また、
「美術」はすでに終わったと考えるよりは、これまでに「美術」と呼んできたり、また呼んでこなかったりしたたくさんの物について考える方がよほど楽しいではないか。
と。で、この巻では、日本美術史における言説編成や制度性を具体的なモノの側からアプローチする論文が集められてます。しょっぱながもう、金のシャチホコという微妙すぎる物件をあつかった木下論文。五十殿利治は近代における美術とパフォーマンス性ということで、余興的なライブペインティングともいえる「席画」や東京美術学校の教員の制服の話などをあつかってます。高村光雲が天心に着させられて閉口したとか言ってておかしいです。平瀬礼太「戦争と美術コレクション」では、戦中には銅資源として、戦後は平和政策のため、それぞれ撤去または移動させられていった銅像、あるいは戦争画の戦後の扱いについて GHQ がどう対処していったかといった話題について詳述しています。あと印象に残ったのは武笠朗「平等院鳳凰堂阿弥陀如来像の近代」。これは平等院鳳凰堂は立派、仏師定朝は偉大、でもあの阿弥陀は…ちょっと微妙かも、みたいな評価の揺れうごきを丁寧に後づけていて興味深かったです。
どうも 1989年の北澤憲昭『眼の神殿』(美術出版社) (未読)が一つの画期と言われるようなのですが、90年代以降、日本美術史は結構変動の時期にあるようなんですね。『語る現在、語られる過去―日本の美術史学100年』も読んどくべきかしらん。
投稿者 ryoji : 09:31 PM | トラックバック
谷口吉生のミュージアム @ オペラシティーアートギャラリー
MUSEUMS BY YOSHIO TANIGUCHI 谷口吉生のミュージアム、またしても行くのが最終日になってしまいましたが。MoMA のリニューアルに関連する模型や図面、MoMA の建物の変遷を見せるパネルなどがまず一つ。図面は学生と覚しき若い人達が熱心に見いってました。
それから日本各所で谷口が設計したミュージアムの模型とパネルの展示。建築の展覧会って、どうしても模型とパネルで無味乾燥になりがちと思うのですが、この展示は大変すっきりしていて気持よく見られました。MoMA も行きたいけど広島市環境局中工場も面白そう、丸亀市猪熊弦一郎現代美術館も行ってみたい。東博の法隆寺宝物館はとても素敵な建物なので(本当)、他もいいんだろうなあ、と。あ、とりあえず近場で葛西臨海水族園に行かなくてわ。水族館好きだし。模型とパネルの他に映像の上映もやってましたが、こちらもあまりうるさくなく建物をすっきり見せていてよかったですね。
コリドールでやってた中岡真珠美の作品もわりと好みでしたし、満足。
ついでに Open Nature @ ICC。難解ですた。ていうかこれの作品、どう「良い」のかなぁ。でも「スパイラル・ジェッティ」のビデオくらいちゃんと観ればよかったかもー。
投稿者 ryoji : 09:26 PM | トラックバック
June 25, 2005
Tom Stafford & Matt Webb "Mind Hacks"
あーあ、買っちゃった。
あーあ、っていうのは、自分が必要としてるものとはたぶん違うんだろうなーという。いや、読みはじめたばかりですが、内容は結構、面白いです。Hack というより面白科学って感じですが。認知心理学とかの方面の知見やら、自分でも試せる面白ネタが集められてます。あーでも、脳とか知覚を相手に、入力いじってみることで何が起きてるのか見てみよう、という意味では Hack っぽいかも。マジで頭使ってる時は脈拍あがるんだよ、さあ測ってみよう! みたいな。 "Neuropsychology, the 10% Myth, and Why You Use All of Your Brain" という Hack (やっぱ違和感…) の「人間は脳の潜在能力の10% しか使ってない」なんて話は根拠ないっすよ、みたいな啓蒙的な内容もあり。僕はこういうの好きです。あと錯視ネタとかはわりによく知られたものが出てるな、という印象。でも後半の Reasoning とか Remembering とかあたりはもうちょっと応用的な雰囲気なので期待。
Paying Attention (or Not) to the Flickr Daily Zeitgeist (by Tom Stafford, Matt Webb) みたいな記事を読んで、ユーザーインタフェースと知覚みたいな話がもっとダイレクトに沢山あるのかとなんとなく思ってたんですが、そうではないみたい。でもまあいいです。
しかしこれ、タイトルがアレゲすぎて、電車の中で読むのにちょっと躊躇しちゃいます。
あと購入検討中の本は Designing Visual Interfaces: Communication Oriented Techniques。忘れそうなのでメモ。
投稿者 ryoji : 11:44 PM | トラックバック
June 22, 2005
問題の再定義
Paul Graham は Great Hackers の中で
Macの前にも、 たくさんの、小さく安いコンピュータがあった。彼は問題をこう 再定義したんだ:美しいコンピュータを作ろう。
と書いていますが、僕が自分の問題を再定義するとすれば、「ユーザが答えを見つけるためのシステムではなく、問題を見つけるためのシステムを目指してはどうだろう」ということになるんじゃないだろうか、と思ったです。
投稿者 ryoji : 01:36 AM | コメント (1) | トラックバック
デザインの本
気がつくと結構読んでる Boxes and Arrows: The design behind the design に、Boxes and Arrows: Our Favorite Books: Recommendations from the Staff of Boxes and Arrows という記事があって、本の紹介がまとまってます。翻訳されてるのを持ってるのが結構ある…。やはりそういうことなのか。D. A. ノーマン『誰のためのデザイン?』とか、もう一度読んでみようかなぁ。
投稿者 ryoji : 01:30 AM | コメント (1) | トラックバック
検索の速度
試験中のプロトタイプに使ってる MySQL に噂の Senna を組みこんで N-Gram インデックスを使えるようにしてみた。わかち書きが使えないのは、特殊な用語が多くて辞書が役に立たないから。
すげー速い。劇的に改善。もう普通に LIKE 句使う気がしない。
検索の反応が速くなって思ったのは、これは単に技術の問題じゃなくて、こないだの話とつながるんですが、むしろデザインの問題なんじゃないかということ。検索に時間がかかったとして、その間 5分待つのも10秒待つのも、待つという経験は同じ。つまりその間ユーザは別のことをしたり考えたりする。でもこれが 0.5 秒になると、この時間を「待つこと」として経験はしない。だから、どこらへんに閾値があるかってのは別にして、単にかかる時間が違うだけで、違う道具で違う作業をしてるような感覚があります。データを「探す」というより「取り出す」という感じ。頭じゃわかってたつもりですが、Senna 使って実感しました。
投稿者 ryoji : 01:01 AM | コメント (3) | トラックバック
June 17, 2005
情報園芸
実はハーブを育ててます。バジル、ルッコラがメインで、あとミニトマトとアップルミントとイタリアンパセリが少し。バジルとルッコラは、去年もやってたのですが、青虫にまるはだかにされて悲しい思いをしたので、今年はリベンジなのです。気をつけてるだけあって、今年はバジルもルッコラもぼーぼーになってきました。ルッコラなんか、パッと見ほとんど雑草です。
なんか育てるのは楽しいのです。以前ある外国人と話してるときに Wikipedia の話題になって(ちょっとそのころ、いくらか書きこんだりしてたのです)、「情報が育っていく様子を見るのが楽しい」と言ったら「Information Gardening だね」と言われて、それいい言葉だなーと思ったのでした。でも、どっかで使われてたりしないかなと思って検索しても、園芸ショップのサイトしかみつからず。無念。
投稿者 ryoji : 10:27 AM | トラックバック
"We will rock you" 使いすぎ
前から気になってるんですが、テレビの人たちは例の今ミュージカルもやってる Queen の "We will rock you" を使いすぎだとおもいます。別にこの曲がきらいなわけじゃないですが、CM とかであまりにも使われすぎ。とりあえずビール、くらいの勢いで何も考えてないでしょ、と思ったり。クライアント受けがいいのか手抜きなのか。ちなみに僕はこれ聴くとアンディ・フグを思い出すクチです。
…と、たったこれだけ書いてる間にもテレビで2回流れた。
投稿者 ryoji : 10:19 AM | トラックバック
June 15, 2005
インタラクションのデザイン / 経験のデザイン
O'Reilly Emerging Technology Conference 2005 にあるプレゼン資料の後半に Design for participation っていう言い方がでてきて思ったんですが (というかよく思ってることなんですが)、「デザイン」と日本語で言うときって、なんか狭くとられがちな気がします。本来は相当に広い範囲に適用可能な概念なはずなのですが。どうしても形や見た目を整えることとしか思われない場面が多いような。欧米の文章の中には「経験のデザイン」とか「プロセスのデザイン」とか結構普通に使われてるんですよね。あー、それとあとエンジニアな人達的にはすぐ「設計」を意味したりするのかしらん。上の言葉も「参加の設計」と訳されたりしてるようですし。
実は僕が (自分専用のプログラム以外で) ソフトウェアを作るとき、一番頭を悩ますのがインタラクションのデザインなんですよね。ユーザビリティっていうと使い勝手の良さという話になるのでしょうけれど、単にそれだけにとどまらない部分で何かが足りないような気がいつもしてます。ユーザの経験をどうデザインすればいいのか、いつもよくわからなくなってしまうのですよー。で結局、試行錯誤とヒアリングくらいしかできることを思いつかない。なんかもうちょっと、方法論ってないのかしらん。でもこういう話題に関する本もあまりないようだし。上の参加のデザインっていうのも、たぶん経験をデザインするっていうのの一種というか近い関係にあるような。
なんかとりとめがないですが、そんなことを考えました。
投稿者 ryoji : 11:23 PM | コメント (2) | トラックバック
June 14, 2005
VRA: Cataloguing Cultural Objects
今年の2月に Visual Resources Association という団体が Cataloguing Cultural Objects (CCO) のドラフトを出していますね。yet another standard 、なのか? しかし疲れててまともに英語読めないので、ひとまずメモ。
投稿者 ryoji : 11:14 PM | トラックバック
June 06, 2005
アート・ドキュメンテーション学会 第16回 年次大会終了
しました。実行委員だったので色々疲れてしまい、もう今日は昼間もずっと寝てました…。初日の入間市博物館見学も面白かったですし、2日目の講演会、研究会も盛況で、よかったなと。
個人的には、久しぶりに桂さんの話が聞けたのがとてもよかったです。最近桂さん達がやってる Epoch Making Project の話を聞いたり資料とか観たりすることができて、面白いけど難しい、チャレンジングな仕事を相変らずしているなぁと、かなり刺激になりました。こういう種類(アート方面で起きてるチャレンジの面白さ、というか)の刺激って、いつもの学会活動だけでは絶対にないものなので、貴重な機会でした。まぁ、自分からそういう方面にもっと顔を出すようにすればいいのでしょうけれど…。
投稿者 ryoji : 01:15 AM | コメント (2) | トラックバック
佐藤康宏(編)『講座日本美術史 (1) 物から言葉へ』
日本美術史勉強中、ということで『岩波 日本美術の流れ』を読んでたりしたんですが、一応第2巻以外はなんとか入手して読了。どの巻もかなり楽しく読めたので、入手困難なのはとても残念です。特に7巻目の辻惟雄『日本美術の見方』には妙チキリンな物件が数多く出ていて(もちろんそれだけじゃないですが)、楽しめました。
で、もうちょっと突込んだ、というか美術史学という分野のことをもうちょっと知りたい、ということで、東京大学出版会から出てる「講座 日本美術史」シリーズの1冊目を買ってみました。まだ途中までですが、これも非常に面白いです。「物から言葉へ」というタイトルのついたこの巻では、物体としての美術作品から言葉による学問へ、というのが焦点で、作品のディスクリプション、科学調査、作者の比定などといった美術史学の作法について論じる論文が10本収められています。僕のように美術史は大学の概論でちょっと習ったきり、という程度だと、どうしても「物体としての作品」という見方が希薄になっているように思います。というのは、おおざっぱに美術史が語られる時に中心になるのは、表象としての図像、あるいは様式史のようなところで、たとえばある絵が屏風に描かれたのか襖に描かれたのか、なんてことはあまり気にされなくなってしまう傾向があるような気がするのです。
というわけで、美術史家がモノと対峙して何かを考える様子が伺えます。堅実で気持いい。(こないだ読んだ別の一般向けの日本美術の本が、ちょっと事実と意見がまともに分離されてないような、根拠が充分に示されないまま「間違いないのである」とか言いきってしまうような本だったので、余計こういう本を読むと安心してしまいます。)
これまで読んだところで特に興味深かったのは、島尾新「絵画史研究と光学的手法 ― 『源氏物語絵巻』の調査から」で、これは蛍光X線分析とかその手の光学的手法による絵巻の調査についての論文なのですが、その中に作品を語ることについての筆者の考えを述べてる箇所があって、まず、
しかし、「イノセント・アイ」の幻想はとっくに崩れ去っているし、ニュー・アート・ヒストリーとかカルチュラル・スタディーズとか様々に名付けられた研究動向は、私たちの作品に向けるまなざしが人間一般に還元できるものではないことを明らかにしている。(pp.88-89)
として、従来の作品研究に「作品の正しい姿は、それが生み出されたときのものであり、私たちが見たいのもそれである」という願望があることを指摘し、それ自体が間違いなのではないとしながらも、結果として「基本的な事象空間が現在と作品の生成時の二つしかなく、そのために両者の中間で作品が身に纏ってきたものが『剥ぎ取られて』しまうこと」(p.89)が問題だとしています。
その中で「作品」についての「近代の美術史学」成立以前の語り、例えば「作品」に付属する狩野派や古筆家の極や、江戸時代の随筆に記された遥かなる過去の「作品」についての語りなどは、基本的に当てにならないものとの懐疑のまなざしに晒され、「近代の学」としての美術史の眼鏡にかなわないものは容赦なく切り捨てられてしまうことになる。幕末には数千はあったはずの雪舟筆とされる絵のほとんどが、社会の表層から姿を消してしまったのは、そのような「剥ぎ取り」の結果である。現在の絵画の修復が原則的にオリジナルな部分以外を、物理的に剥ぎ取ってしまうのも象徴的だ。(pp.89-90)
このあと筆者は生成時から連続して様々な出来事を経て現在に至っている歴史的に連続した存在として作品を捉えることを「生命誌モデル」と呼んで提唱しています。このあたり、まだ積ん読状態の『うごくモノ ― 「美術品」の価値形成とは何か』にも繋ってきそうなので、そっちも読まないと…。