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October 31, 2005

美術資料情報の基本問題 - 分類

難しすぎてほとんど考えがまとまっていないのですが…。避けてとおるわけにもいかないのがこの分類というやつ。

たった一つのジャンルに特化して、しかもコレクションの量が少ない、というような館を除けば、たいていの美術館では作品に分類を与えています。「絵画」「彫刻」「工芸」とか。あるいは「日本絵画」「西洋絵画」とか。余談ですが「日本画」というのは明治以降の言葉なので、明治以降のものに使われるのが通例なようです。それまで「やまと絵」とか「漢画」とかいってたのを「日本画」に一括しちゃったみたい (もちろん内実も変わります)。

もちろんコレクションの内容によって分類の方法、用語は違ってきます。版画がちょっとしかない館では「版画」という分類しかなくても、多ければ細かく分類するでしょう。つまり階層化することになりそうです。しかし自分がこれまで見てきた目録類では、公式な (資料番号などに反映されてるという意味で) 分類は一層しかないところが多いようです。それで、収蔵品目録なんかの「本の秩序」として下位分類が設定されることがあります。そんでそれは目録の中でだけ使われていたりするという。さらに言うと、目録等に表れる下位分類というのは、たいていいかにもアドホックなもので、一貫性がないことが多いです。絵画はまず地域で区切って(「日本」「中国」)それから時代で区切って(「江戸時代」「清朝」)るのに、考古遺物はまず時代で区切って(「縄文時代」)それから地域で区切って(「青森県」)たりします。たぶん、あまり気にしてないのでしょう。

それに、そもそもどうして分類する必要があるんでしょうか。図書館の場合、まず配架という現実的な制約があります。それにカードだって、主題別が使えたほうがいい。美術品の場合、目録のような冊子では何らかの秩序があったほうが便利でしょうが、展示空間は図書館の棚とは全然性質が違って、みんなが中を探しまわるというものではないですね。収蔵庫は、材質や大きさや形態に制約されるので、ある程度自然に似たものが同じ蔵に集められるでしょう。ただこれは僕たちが普通に理解している美術の「ジャンル」と常に重なるとは限りませんが。

しかしモノそのものから情報に目を向けてみると、やはり分類なしで情報を探すのは大変です。ある不動明王像の情報を探していて、掛幅も彫刻も根付も全部引っかかってしまうのでは、すごく使いづらそうです。なのでジャンルによる分類というのは、図書館の十進分類のような合意された標準がなくても、何かしらは必要でしょう。ただそれが相対的なものにすぎないということだけは押さえておく必要があります。どうせ客観的な分類などないのです。それに美術の分野には学術用語集もないですし、まぁ用語の揺れもしょうがないです(図書館の人はこういうのをすごく嫌がるけど)。英語なら Getty の AAT とかあるので使えるのかもしれません(でもアメリカでも美術図書館なんかでは AAT は使われてなくて、やっぱり LC とか使ってるそうです)。

美術分野のための主題分類というのがあれば使いたいと思ってる人は多いはずなのですが、全然実現しそうにありません。少なくとも日本では誰も本気でやろうとしてないようです (僕が知らないだけで誰かいるのかな?)。西洋美術だとイコノグラフィーの(たぶん)一つの成果として Iconclass というシステムがありますが…。日本では必要とされてないのかなー。あれば激しく便利そうですが。仏教美術とか文様のシソーラスみたいのが。でもこれは美術史の専門家が本気で頑張らないと絶対無理。

すみません、やっぱりとりとめなくなってしまいました。

投稿者 ryoji : 10:22 PM | コメント (6) | トラックバック

じんぼう

BOOK TOWN じんぼうというところで神保町の古書店の本を検索できますね。NII。連想検索はお得意の GETA ですね。

投稿者 ryoji : 09:31 PM | トラックバック

Tokyo Art Beat

ためしにTokyo Art Beat にアカウントを作ってみました。ふむー、これはよくできてる。近所のイベントとかいい感じ。でもこれ、この人数で編集してるって、結構すごいですね。大変そう。

あーしかし、東京限定なんですよね…。自分では登録できないみたいだし。ユーザの数がある程度いるなら、傾向の似てるリストを使ってオススメとかしてほしいなぁ。bloc といい、なんかこう、ちょっとずつ違うんですよね、欲しいのと。って言うばっかりですな(自分で作れ?)。

投稿者 ryoji : 09:09 PM | トラックバック

October 30, 2005

庭園植物記 @ 東京都庭園美術館

『非水百花譜』イイ! というわけで、庭園植物記 @ 東京都庭園美術館を観てきました。幕末から現代まで、様々なテーマで植物を扱った作品等をみていく内容なのですが、やはり幕末~明治期のものが大変面白かったです。

横山松三郎は写真家としてしか知らなかったのですが、油絵や石版もやってたんですねー。蕃書調所・開成所の高橋由一や島霞谷の図譜は写生帖のような感じなのに対して、小石川植物園や東京博物館(今の科博)の図譜はもうちょっと図鑑っぽかったりする(描きかたが科学してるというか。学名や採集地を書いたラベルが貼ってあったりするし。まぁそれは後からつけたのかもですが)のも面白かったです。小川一真の写真も、Karl Blossfeldtとか思い出してしまう。でも小川一真の写真は帝室博物館のものと牧野富太郎が作った標本を撮影したものとでは全然違ってて、これも興味深かったですねー。牧野の標本の写真はもちろん、すでに標本としてその「見方」の枠組みが整えられたものなので、その違いなのですが。同様に、牧野の図というのはとても西洋的な描写方法になっているのも面白いと思いました。牧野が尊敬していたという飯沼慾斎の図譜は江戸時代のものなので、当然絵の描き方が日本的だし本の作りも江戸時代の本そのもの。でもそこでリンネの分類法が使われているというのがなんだか不思議な感覚です。こういう本の姿って好き。結構早くに入ってたんですね、リンネの分類学って。で、そこらへんの絵の視角と科学の視角の関係みたいなところがもっと知りたいと思いました。

キノコの標本や胞子を貼りつけた南方熊楠の図はなんだかハイパーでした。すげー。あとカタログの論文に出てたのですが、『東洋花鳥写真集』が展示されていた岡本東洋が竹内栖鳳に6、7千枚の写真を送ってたという話もびっくり。

杉浦非水の『非水百花譜』は、多色木版の本図と影図、それに写真つきの解説がセットになっている、図案集兼植物図鑑のようなものなの。これいいです。こういう本欲しい…。日本のアール・ヌーヴォー 1900-1923:工芸とデザインの新時代 @ 東京国立近代美術館工芸館でも取り上げられてるのかな? やっぱりこちらも観にいきたいです。浅井忠の『訂正 浅井自在画臨本』でも、写生と図案とあわせて写真も貼られていてます。図案教育のための本なのですが、写真、写生、図案と比較することで、図案制作という抽象化の段階を見せようとしていて興味深いです。また富本憲吉も写真を元に図をつくり、そこから染付けの皿を作っていたりします。これが面白いのは、図のあとに自身で「以上六種の模様は自から写真機を以て実物を撮したるものより 模様を造り得との考えを試みに種々の方面より研究したる最初の図巻なり」と書いていて、非常に意識的に方法論としてやっているところです。これらはどれも、すごいシステマティックに新しい手法を探求してるし、まさにミクストメディアっていうか、複合的なんですよねー。うーむ。

と展示前半に興奮しすぎて、後半は流しぎみになってしまいました…。でも面白かったです。庭園美術館、自分好みの展示が続いてて目がはなせません。

投稿者 ryoji : 11:32 PM | コメント (2) | トラックバック

October 28, 2005

2.0でどうだろう?

「デジタル・アーカイブ」と言わないようにしてると言った舌の根も乾かぬうちにアレですが、「2.0」って言ってみたらどうだろう、とふと思ったのでした。「デジタル・アーカイブ2.0」。

ある程度普及してる言葉を使いつつ、今までとは違う点をうまく強調できればいいんじゃないかなぁと。案外自分のもってるイメージとか、考えを整理する機会にもなるかも。でも、うーん、軽薄ですかね。「2.0ならなんでもよかった」っていうんでもないですけど。

投稿者 ryoji : 05:52 PM | コメント (3) | トラックバック

October 25, 2005

近所の駅で

車掌が駆け込み乗車してました。あわてて笛吹いてた。いいのか?

投稿者 ryoji : 02:05 AM | トラックバック

いながらにして世界の名画は見られません

自分の仕事を人に言うときは「博物館で収蔵品のデータベースを研究してます」みたいに言うのですが、なんか微妙です。データベースを作るのって研究なの? 単なる作業とちがうの? と思われがちというのもあるんですが、それより「ああ、するとデジタル・アーカイヴとかそういうアレですか」という反応がなんだか困惑します。

自分ではあまり言わないようにしてるんです。「デジタル・アーカイヴ」という言葉。いや本当は単に好みの問題なのかもしれませんが、どうもですね、「芸術品をデジタル化してインターネットでヴァーチャルに鑑賞、書斎にいながらにして世界の名画が見られる夢のマルチメディア」みたいな、いやまぁこれはいくらなんでも戯画化しすぎでしょうけど、そういう匂いがしてそうで。それでそういう匂いがちょっとでもすると、もう反射的に拒絶反応おこす人がたくさんいるんです。「私はアナログ人間ですから、何でもコンピュータがいいとは思えません」みたいなコトを言われたりします。そういうのが激しくもどかしい。

他の人のことは知りませんが、僕は遠隔鑑賞にはほとんど興味ないです。高精細画像とかも、まあ工学の人ががんばってくれればいいです。電子化された画像や3次元スキャンを使わなければできないことは確かにありますが、それは現物を見るかわりに使うわけじゃないですよね。普通にそう思ってますよ僕だって。なのに、うっかりすると「高精細デジタルなんとか」とかそういうのの信奉者みたいに思われそうになる。いやだあ。

いったい誰のせいで…とか追求したくなりますが、やめといたほうがいいような予感がします。

できのいい索引が欲しいだけなんですけどねぇ…。いい索引を使うと、知識を組織化するやり方って違ってくるハズと思ってるので。

投稿者 ryoji : 01:24 AM | コメント (4) | トラックバック

October 23, 2005

見たほうがいいのかなぁ

売れてるらしい『NANA』

これだとこの映画が二時間近くもかけて言いたかったことは、「ビッグなミュージシャンに抱かれれば女の子は満足」ということになってしまうのではないだろうか。
ヒバリ日誌 - 邦画三題
正直頭を抱えましたね。あれがいちばん売れてる少女マンガってー。
Tigerlily Scribble

そんなにすごいなら見といたほうがいいのかしらん。でも元気なときにしたほうがよさそうですね。

いや、見なくちゃいけないものも見たいものも他に沢山あるんですけどね。

投稿者 ryoji : 11:57 PM | コメント (2) | トラックバック

Lectron

電子プロック Lectron 素敵。欲しい…。

via TFJ's Sidewalk Cafe: Conversation Room

投稿者 ryoji : 08:55 PM | トラックバック

博物館情報処理に関する調査研究プロジェクト 公開研究会

というのを11月11日にやります。僕のほうからは、博物館資料に関する情報のモデルについてお話させていただく予定です。

東京国立博物館 お知らせに詳細があります。

投稿者 ryoji : 05:32 PM | トラックバック

October 17, 2005

美術資料情報の基本問題 - 資料番号

図書館にある本には、請求記号というのがついてますよね。あれと同じで、美術館にある作品にも普通その機関によって番号がつけられています。芸大美術館では「物品番号」、東近美だと「所蔵品番号」。うーむ、いきなり語彙がバラバラですが…。さらに東博では「列品番号」といいます。収蔵品のことを「列品」というんですよ。もう完全にジャーゴンですな。

それはさておき、以前にもふれた CDWA では Current Location - Repository Numbers の項で、

REPOSITORY NUMBERS are PRIMARY ACCESS POINTS.

と、やたら大文字を使って強調しています。実際そのとおりで、作品の名前というのは不安定でモノの最終的な同定には使えませんから、確かに非常に重要なわけです。CIDOC Information Categories でもやはり、Object Number として

Without an Object number it is not possible either to uniquely identify an object or to link an object with its documentation.

と言われています。ごく当然のこととして、管理している物に番号をふって一意に識別ができるようにすることは重要です、と。

さて、単純明快と思えるこの資料番号ってやつが、実はちょっとやっかいなところがあるんです。CDWA の先の引用の前後には、

There may be multiple identifiers associated with a work

Multiple identifiers should be accommodated

とあります。また CIDOC IC にも、

Multiple numbers may be assigned to the object

とあって、こちらには Object Number と一緒になる情報として Object Number Type と Object Number Date があります。すなわち、いつ資料につけられた、どのような番号なのか、という記録を取ることが考えられているのです。資料の番号というのは、実は複数付けられることがあるのです。

具体的に見てみましょう。芸大美術館の仕事をしたときに経験したのは、分類の変更です。芸大美術館では、物品番号は作品の受入れによって付加されるのですが、その番号は分類ごとにつけられています (というか、台帳が分類ごとになっている)。『靴屋の親爺』は西洋画に分類されていましたが、2002年に重要文化財に指定されるとともに、文化財に分類が変更されました。したがって「西洋画9」と「文化財32」があり、後者が現在の番号なわけです。

東博のように3世紀にわたって続いてるようなところだと、さらにいろんなことが起きます。分類換えは当然ありますが、それ以前に分類体系そのものが変わっています (当初は天産部といって剥製などもあったらしいです…)。ま、ともかく、現在の体系になるのは昭和も後半になってからです。このときは東洋美術が別立ての分類になりました。また明治時代には「絵画」とか「彫刻」とかの用語ではなく、「一區二類」のような分類名が使われていたこともあります。ホントは『東京国立博物館百年史』とか調べるとちゃんとわかるのですが、ともかく何度も分類体系が変更されてきていて、その度に番号をつけかえたりとかいろいろしてるわけです。芸大美術館なんかはその点分類体系を変えてなくてエライなーと思います (そのかわり「東洋画真蹟」のような素人にはおすすめできない分類名が残ってるし、「雑美術工芸品」という「その他」を作ってしまってますが)。

分類が変わってなくても番号が変わることがあります。それは転出・転入。同じモノが一旦外に移管されて、何十年もしてから戻ってきたとき、元の番号は廃棄されて新しい番号がついたりするわけです。このあたりは、基本の台帳がどちらかというと会計上の資産管理をベースにしているというところに起因していそうな気がしますが。

で、ですね。古い番号は書きかえて新しい番号だけ残せばいいじゃないかと思うでしょ? ダメです。なぜか。先の『靴屋の親爺』は有名な作品で、これまでに何度となく展覧会に出されています。そのときの展覧会カタログには「西洋画9」となってるんです。出版された目録にもそう載っています。おそらく文化財に指定された後の年報などに新しい番号が載れば、それが公になった情報ということになるでしょうが、アクセスが難しい。だから古い番号が削除されてしまうと、探してる作品がどこにいったかわからなくなってしまう可能性が大きいのです。

さらに。貴重な (というかまあ、単価の高い) 美術品だけでなく、土器片だとか瓦だとかがドカドカ博物館で受入れられることがあります。資料番号は、モノそのものに書きこまれたり、シールに書いてつけられたりします。番号の変更があったとき、土器片とか瓦のような数の多いものまで手が回らないまま何年も経ってしまう、というのは現実的にありうることです。すると、モノに古い番号しか書いてない、なんてことになります。こういうことがあるので、古い番号をさっさと捨てるということができないのです。

さらに「枝番」という問題があります。受入れを基準にした資料番号をさらに細分化するためにつけられることがあります。東博だと極端な例として「松方コレクション」と呼ばれる浮世絵のコレクションがあるのですが、これは「絵画10569」という単一の番号がついてますけど、実は8000枚以上の浮世絵が含まれています。このあたりは記述の単位の問題ともかかわってくる部分です。展示の都合なんかでいい加減に枝番をつけてしまうと、後で別の人が同じモノに違う枝番をふってしまって整合がとれなくなるかもしれない。そして台帳のようなオーソライズされた記録になりにくい。だから軽視されがちなんですが、枝番がどうしても必要なときには、館としてその枝番をオーソライズする手続きが必要ではないかと思います。

しっかしなぁ。これって今までそうやってきちゃったから、なんですよねぇ。というわけで、過去を一切引き摺らずに今から美術館で作品に番号をつけようとしてるところがもしあるとするならば、

  1. 番号は分類とは無関係に、差別なくシリアルにつける。
  2. 番号は一度つけたら金輪際変えない。100年後も同じ番号を使うつもりで。
  3. 常識的な範囲で、可能なかぎり細かい単位で番号をつける。特に美術では「一括」はできるだけ避ける努力をしてほしい。
  4. 枝番をつけるときにはちゃんとオーソライズする。

と言いたいです。

投稿者 ryoji : 12:09 AM | トラックバック

October 14, 2005

デジタルアーカイブ連続講演会 @ 慶應大

2005年度慶應義塾学事振興資金による研究課題 デジタルアーカイブ連続講演会でしゃべってきました。博物館のための概念参照モデルCIDOC CRMについて、博物館の資料の特殊性などを交じえながら。図書館の人たちとは、やはり結構感覚が違うので、いろいろと勉強になりました。図書館の目録管理はとても歴史があって、方法論が確立してるし、目的も明快だし、あのノウハウはもっと活かせるはずだと思いました。ま、逆に過去を引きずってるところもあるようですが。今後の講演にもできるだけ行って勉強させてもらおうと思ってます。次回は EAD ということで文書関係の人の話が聞けるので、楽しみです。

ところで準備にあたって、以前書いた文書を読みなおしたりしたんですが、間違いとかけっこうあるなぁ…時間をみつけて手を入れないと…。

しばらくきちんとフォローできてなかった感もある CIDOC CRM でしたが、4.0 の仕様をちょっと読んでみました。いつのまにか Entity が Class になってるし。その方が僕には馴染みやすいですけど。それはともかく、講演の中でも言ったのですが、CIDOC CRM の話が出ると、どうもいつも似たような誤解をされてるように思います。ひとつは、「ISO 標準になったら JIS になる、そうなったら否応なくこれを使わないとならない。だけどこんな難しいもの学芸員には理解できない。さあどうするんだ」という反応。ISO 標準になったからといって、そんな強制力がどこからか働いてくる、ということは僕にはちょっと考えられません。なんでそんな黒船来襲みたいな印象持つ人がいるんでしょうか…。それから「こんなに細かいデータなんか作れない。非現実的だ」という話。でも「何をデータとして作るべきか」については CRM では何も触れていません。だから使う情報をどうモデリングするかってときに参考にすればいいだけなんですけどねー。それに実際調べたらすぐ分ると思いますが、どうせクラスはあれじゃ足りないです。拡張しないと。

でもともかく、あれはいわば分析ツールなのであって (だから参照モデルって言ってる)、実装はひとまず置いて考えないと、おかしなことになります。でも、博物館の視点での分析としては非常にしっかり行なわれているので、現実のシステムを設計する段階では非常に役にたちます。思うに、資料だけでなく、業務についても同じような分析ができれば、それはそれで使いでがあるんじゃないでしょうかね。

投稿者 ryoji : 11:30 PM | トラックバック

October 08, 2005

ミュージアムのハリケーン被害と復興

ハリケーン「カトリーナ」と「リタ」によるミュージアムの被災状況と復興の情報が、American Association of MuseumsHurricane Recovery Information にまとめられていました。

投稿者 ryoji : 10:34 PM | トラックバック

美術情報プロフェッショナルのコア・コンピタンス

北米美術図書館協会 ARLIS/NAProfessional Development Committee から、Core Competencies for Art Information Professionals(pdf) という文書が出されています。美術図書館のライブラリアンや視覚資料の専門家の専門的な知識・技能をまとめたものですね。ふむふむ。

どうでもいいですが「コア・コンピタンス」って自分で書くのはじめてです (すっかりビジネス雑誌用語だと思っていた)。

投稿者 ryoji : 10:30 PM | トラックバック

October 03, 2005

岡野玲子, 夢枕獏『陰陽師』

なんだかまとめて読んでる最中です。

陰陽師 (1)

原作は読んでないですが、設定とか背景が絞りこまれてるので、ストーリーにしまりがありますね。それになにより、漫画的表現がとても良い感じです。うまいなぁ。第一話で道真公の眷属たちが垂直にのぼっていくのを見て、これはキタ、とおもいました。

勢いあまって映画『陰陽師II』のビデオもかりてしまいました。映画版の前作は劇場で観て「あーもったいない」という感想だったのですが、今回も…。晴明と博雅のキャスティングは妙に漫画のイメージに近い気がしますが。それにしても設定が適当すぎて腰が抜けそうでした。あの「出雲村」は京のすぐ近所なんでしょうか、とか…(以下多数)。

投稿者 ryoji : 11:51 PM | トラックバック